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ピクチャレスク美/文化資本~アウフヘーベン~ハイコンテクスト文化/ローコンテクスト文化~ビジネス英語/evidentiality~唯物論/感性的認識/理性的認識/表徴/私念/思惟
今日は18世紀の英国で生まれた美学上の概念ピクチャレスク美について徒然なるままに・・。
Alpes 110808

ビジネスの場面での英会話は
日本語のコミュニケーションの在り方と趣が異なります。
所謂、日本語スタイルと英語スタイル。

”evidentiality”という英単語があります。
優れた適訳がないように思いますが
謂ってみれば”明示性”といったところでしょうか
一例をあげると
日本語では、感情を表す形容詞は二人称・三人称には使用できません。
ーあなたは嬉しいですー
コレ、ありえませんよね(笑
あなたが嬉しいかどうか、evidentiality(証拠性)が低いために日本語では、非文の範疇です。
けれど英語にはこうした区別がないんですね。
ですが冒頭にあげた差異は
形容詞の形体の違いだけには留まりません。
そこでハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化比較に思いが至ります。
こちらはコミュニケーションの在り方に顕著に顕れますが
この差異は、取りも直さずコンテクスト依存であるか言語依存であるかという点で
コンテクスト依存傾向をハイコンテクスト文化
そして言語依存傾向をローコンテクスト文化として棲み分けを試みているんです。

ハイコンテクスト文化では
受け手がそれなりのスキルを持っていることを前提としていますので
(誤解の生じようがない)単純明快な表現では、寧ろ無粋といった空気さえ漂っており
よって、敢えて曖昧に、得てして比喩的に、時に言葉少なに。
論理的飛躍もアリでして
少しテクニカルな表現で相手に伝えようとするんですね。
そこには阿吽の呼吸があり、確かな美学があります。
一方、ローコンテクスト文化はどうでしょうか。
ここでは受け手の能力に期待するものはなく
あくまでもコミュニケーション成立の責任は話し手側にあり
必然、直接表現が好まれます。
単語も理論も解り易さが全てであり、必ずや相手が理解できるであろうクリアなそれが理想形です。
先に触れた英語型だけでなく、
義務教育における教育現場などもその典型でありましょう。
そしてまたハイコンテクスト文化の極みが
芸術(美学)の世界観といった処でしょうか。

そう致しますと
ここで想起されてくるのが
18世紀の英国で生まれた美学上の概念
picturesque美です。
絵画だけでなく文学,旅行,庭園デザインなど多方面の文化領域で表出してきた美的カテゴリーであり
解り易く言えば
”絵画を美的基準にして自然風景を鑑賞する”的な趣向です。
自然風景を鑑賞するのにアート(風景画)を拠り所とするという
なんとも本末転倒な感も否めない風景における、自然と芸術の関係性でありまして・・
自然から心地良さを感ずれば、それは美であり
絵画がそれを齎せばそれはピクチャレスク
ということで、自然の中に絵画の題材なる美しさを見出すための技術です。

この”ピクチャレスクなテイスト”を身に付けるにためには
生育環境にピクチャレスクな自然があり(富)、かつ絵画の素養を備えること。
らしいのですが,それでも解ったような解らないような印象も拭えないこの美的理念
実は、18世紀のロシア文壇では結構大真面目に展開されていたものです。

こうした経緯を踏まえてか、フランスの社会学者ブルデューは
ピクチャレスクをcultural capitalと言い切ります。
要は、18~19世紀の時代背景を鑑みて
往時の英国地主階級は社会的優位に立つために
このピクチャレスクを政治的に利用したと論じているんですね。
経済力はあっても教養の乏しい宮廷貴族に対するひとつのアンチ・テーゼであり
イデオロギーとして利用されたと。
文化資本・・・彼らが権力や社会的地位を確立せんがために
ピクチャレスクという”文化的教養”を創りあげたという見解です。

ただここで
強ち全否定もどうかなと思ってみたりするわけです。

記号的にみれば、文字が読めなくても、地図は読めるであろうと思うのですが
実はこれがそうでもないらしいんですね。
以前、未開の地の原住民の方に地図をお見せしても全く意味をなさなかったという場面に遭遇し
地図を解釈するためには、意外や(幾何的概念含め)あるレヴェルの文化水準が必要だと知り
幾分かのカルチャーショック(云われてみればその通りなのですが)を受けたことがあります。
そー言えば”話を聞かない男地図の読めない女”なんていう男脳女脳が話題になった時期もありましたっけ(笑
ですが、段階的認識というのは確かにあるんですね
唯物論的になりますけれど、感性的認識があり、理性的段階における認識あり
また表徴があり私念があり思惟がある・・・。
具体的には広い意味での歴史
そこに存在するのは同じ風景であっても
認識する側に差異があるということでありまして、
かつてそこにあった歴史を踏まえて観るそれと
そうでない風景とでは
受け取る感動には必然違いも出てくるであろうと。
美しいものを美しいと感じるのは
もちろん理屈ではありません。
そこには厳然と視覚の優位性があります
ですが
美とは、時に知識、時に想い、時に愛、時に音樂
あらゆる文化的コンテクストを絡ませた複合的芸術現象ではなかろうかと
少しアウフヘーベン(笑)してみた次第です・・。

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テーマ:絵画・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2012/10/11 19:41 】

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