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殻のなかで…実践 徒然〜バランスを考える
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達成だとか成績だとか
遂行を意味するパフォーマンスは
一方で
演奏や演技など
カタチを実現すべく身体的行為をして
使われることも少なくありません。

語源(中世英語)に照らせば
前者的意味合いに即してはいるようですが
両者の用法はそのまま
クオリティの対比となってあらわれているよう

と申しますのは
対象の評価、その根拠を
クオリティ全体に重きを置くか
パフォーマンス全体に求めるか
と言ったような。

そう致しますと
想起されるのが
哲学史に云うところの
アリストテレスの3分類由来のひとつプラクシス。

此処では
実践に対する理論の優位性が説かれていた訳で

そこに疑問を提し
価値逆転による実践優位のもとに
両者の統合を主張したのが
かのマルクスだったんですよね。
(弁証法への過信があったことは否めませんが)

ー感性的実践は認識となり
それが理論的認識の基礎とされるー

こちら取りも直さず
具体的人間活動が
社会的実践にあるとする考え方であり
人間とは社会関係の総和であるとする
彼の立場を如実にあらわしてもいます。

感性的実践は  
そのまま感性的認識となり
認識はまま、実践となる…
そうしたなかで
私たちが気をつけなければならないのは
個々の実践のなかで
現実の実態性が開示される
その契機をしっかり捉えることなんですね、

理論と実践といった
安易な二元論に落とし込まれないために。

実践に傾けば当然ながら
近視眼的になり局所解に至るリスクは避けられませんし
理論(知識)に寄れば
具体的成果に危うさが残る
よって私たちはいつの時も
バランスを失わないよう
心掛けることが
大切ということなんですね…。


※そして
サルトルの弁証法的理性批判
彼は
マルクス理論に在る、或る論理の飛躍を
埋めようとしたんですね。

故、人間の欲求を基点に置き
そこに促され
個人的実践から共同的実践へと至る全体化を考えた。

惰性でなく
意思による運動、
其れこそが実践であり
投企であります。

例え対象が努力の向う側にあったとしても
それを肯定し受容する精神活動は
消極概念には当たらないと
私は信じています。














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【 2016/12/18 21:57 】

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