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2月21日のあなたへ〜古代、中世、近代、現代、どの時代区分とて抜きには見えてこないもの
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西洋近代の人間学(神学に対しての言葉です)は
キリスト教神学的思想と不可分な関係性の上に
構築されてきましたから
江戸時代後期から明治初期の知識人たちは
そうした思想を持たない日本人に
西洋の理論体系を紹介するに
困難を極めたんですね。

そのひとり、福沢諭吉。
彼の“西洋事情初編”からの
”アメリカ合衆国独立宣言”に含まれた
“God”の訳語は“天”でありまして
(明らかに概念を異にする訳ではありますが)
*人間の作為を越えている*
という意味合いを以ってしては
見事な訳語であり、
是をして西洋の近代人間学は
意外と正確に日本に導入されて来たんですね。
(こちらニーチェ以前、AC以降の西洋哲学を読み解く
ヒントにはなりませか?)

その後の“学問のすすめ”初編では
(世界の概念輸入のための辞書編纂を迫られる環境にありながら)
ヨーロッパ中世のキリスト教的世界観から
近代人間学に移行する過渡期の思想が
綺麗に日本語に表現されていて
感動致しました。

            *

新たなる知的体系
西洋の人間学を
導いてきたふたつの異なる思考様式。
そのひとつが理性を信頼してやまない
デカルト、ヘーゲル、
(プラトン、プロティノスの系譜による)ホッブズ、
(組織の意図的コントロールというサン・シモンの流れを汲む)マルクス、エンゲルスらが為したように
神の位置に人間の理性を置き換えることで
人間理性の作為によって議論を展開する合理論的人間学。
もうひとつは、ヒュームやスミスに代表される
理性にウェイトを置きながらもその限界をしっかりと認め
経験を最重要視し
生成のカテゴリーを軸に探究する経験論的人間学。

福沢が何れの思想性によったかは
その書からは読み取れませんでしたが
少なくとも
社会を作為するのは人間とした視座は見て取れ
尚、形而上的に非ず
実際的なそれに関心を寄せていた記述から
経験論的立場にあったことは垣間見えてはいました。

             *

そうした思想史の狭間のなかで
想起されて参りますのが或る語らい、
それは父の父の恩師だったという
穂積陳重氏の姿勢でありました。

氏は、日本で初めて
法律を体系的に論じた法学者とされ
日本思想の原型に
儒教、国学の影響を強く受けていた人物
そんな彼が現在を見据え
自然法主義の法律学から
あくまで“進化する自然法”を説いたその背景には
往時、輸入したばかりの
経験論的人間学を上手に受容された経緯があったんですね。

自然法論(自然)と法実証主義(作為)を
歴史法学(生成)に解消、融合させることにより
法律進化論なる法理論を展開せしめたのは
(古典が内包する見えざる付加価値)
取りも直さず、優れた理念、思想が紡ぎ出してきた書物を
広く読み込み
それらが必ずや内包する時代の価値観の違いや
その瑕疵に足を取られることなく
本質を掬い取ることでしか得られない学びであった訳で
その真摯にも積極的(貪欲)な知へのスタンスに尊敬が止まりません。






































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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2017/02/25 00:51 】

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