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主語の論理、述語の論理 終章
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こうしてみますと
主語の論理 、述語の論理 は、
従来の様に対立するものでなく
相互に相補し合う思考法であることに気付かされもします。

実際、自己とは理性
これは主語も主語
根本の主語の立場でありながら
自己は、述語(環境、経験、教育)から
成長、育成されるものでもありますゆえ。

相互関係、相互転化
自己への問いかけ
その出発点 として
自己を主語の論理の立場で考えてゆくと
実存に至るということなんですね。

不安定、疎外、(社会に巻き込まれる)物象化に対し
東洋では、述語の論理の世界観へ問いかけることにより
自己の消去その営みから
究極の述語である自然との一体化に至るという
生命観でありました。

そして今、現実に照らすなら
日々直面する生活、あらゆる事象に対し
そこで安らげる何かを信じる(盲信)のでなく
やはり学び、考えるという姿勢
それなくば、自己の(安定)深まりもなく
そのプロセスからの発展を望むべくもない訳で。

個々の人生は
運命とは違うんですね。
それを支えるのが
東西に交錯する歴史であり思想であろうかと・・・。


















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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2017/03/13 09:45 】

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