カラメルソース〜ベルクソン/創造的進化〜a statue in marble./ミケランジェロ I
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ことこと
カラメルソースを作っていると
思いを馳せるのは
ベルクソンの創造的進化。

それは、芸術論と見紛うばかりの哲学的一見解でした。

と申しますのは、彼の理論からは
私たちをを取り巻くあらゆる物質
その物質世界をひとつの
芸術作品として捉える
そうした眼差しが見て取れましたもので。

確かに物質世界も、また芸術世界も
似たひとつの説明方式を備えている点で
共通項がありますゆえ
ここまでの理解は容易です。

ですがその先
物質的世界の創造が如何にして
藝術に擬えられ論証されていたか
此処なんですけれど。

存在の本質が意識にあるならば
意識=実在、物質=非実在といった構図が生まれがち
ですが、ベルクソンは
物質の中にもある種の実在を認めるんですね
なぜなら科学者たちが一瞬にして導き出す溶解の数式に対し
実際には、ある物質が液体に溶けるまで
一定の時間を要することに注目したから。
ここに、意識様の実在原理を基盤とした現象を見出したんですね、
ベルクソンは
意識を、外界に押し広げて世界を見渡したわけです。

一瞥しただけでは、そこに
論理の飛躍は埋められない
そんな印象も拭えませんが・・・。

ただ、存在様態において語るなら
意識は運動し、物質は不動
といったようなそんな二元論では割り切れない現象があるのは、否めない訳で。

そして例えば、
画家が、カンヴァスに絵を描く行為をみた時に
それをひとつの運動と見做し
そこに引かれた線、色彩を”運動の痕跡”
とした見解に立つならば
物質世界と芸術作品が構造上似ているというのも
強ち分からなくもないんですね。

さらには、流石のベルクソンも
芸術作品が必ず内包する根源的躍動(自己完結せずに、制作の働きと成果物の一致を見、互いに表象し合い躍動する)
そこから放たれるメッセージ性などは
物質世界には、一切認めてはいません
物質は当然ながら物質世界に埋没するのみであろうと。

此処がベルクソンの謂う
”癒し難いリズムの差異”
といったところでありましょうか。

そんなベルクソンの物質的世界の理解を
私は好ましく拝読させて戴いたのですが(笑)

さらには、物質がもつ”spontanéité”
この”自発性”抜きに藝術が語れないというのもまた
見過ごされがちな事実ではないかと・・・。

藝術の領域で
表現者の意図が、そのままにくまなく表出されることの方がむしろ稀で
創造とは
作品上に配置されたる物質
その物質側の運動(偶然性)と、切っても切れない関係性にありましょう。
よって、両者の統合の上に構築されたるもの
それが藝術であり
であるが結えに、
そこから私たちが受け取る豊饒なる世界観は
自ずと大自然を擁することから
測り知れないほどの大きな
精神への贈り物となって
立ち昇ってくる・・・

こちら、かのミケランジェロが残した言葉

ー大理石が内包せし真なる藝術。
芸術家は、ただそれを掘り出すだけー

に通じてもゆくようです。





















































































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【 2017/05/25 12:11 】

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