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時間*fragmentation ⅩⅦ
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消え去った
過去は
”知覚され”
”残響”となる

メルロポンティが如く
(意味付与を行っている主体を体とするなら
意味は、それ自体にとって)
存立する本当の超越論的主観は体でなければならいんですね。

その体の定義は
構成する主観と
主観によって付与された意味を蒙り
そのただ中で生きる客観であり

能動性と受動性の両実を兼ね備えたものが身体
ということになりましょう。

主観自身を含めて
一切が時間的意味をもつものとして
与えられる・・・

なれば
時間は完全に有効な意味を持てるんですね。

流されつつ
立ち止まり(今に位置付けながら)
世界に意味付け
その付与に視点をもって関わる

その両義性

両義的存在としての體。





















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テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/22 08:14 】

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