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数学という名の学問の特質に想いを馳せて~雲の上、遥かなるABC予想
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数年前に、「世界の研究者を悩ませてきた
数学の難問”ABC予想”を京大RIMSの教授が証明した」
といったような記事を読んだのですが
つい、最近この論文が
フィールズ賞に値する”今世紀の数学史上最大の業績”
という見出しを目の当たりにして

こんなにも査読に期間を要するものなのかと・・・。

記号で圧縮される数学の論文にしては膨大なページ数
それに加え、inter-universeの再構築といった
パラダイムシフトも助長してか
個々に詰め込まれた情報量は想像を絶するよう。
さらには、相当量の背景的予備知識が求められるのがその理由だとか。

2012年の論文発表から、
あまりに難解で3年間放置せざるを得なかった上、
その後に開かれた
オックスフォード大学数学研究所でのカンファレンスでも
著名な数学者たちをして
「みんなが理解できる論文を書かなければ、解決しない」
という、あまりに残念な結論に至ってしまったような状況だったそう。
(プレゼン事体、比較的日本型の只管な 用語の定義 の説明より
聞き手の理解度に合わせる、弁証的或いは、双方向スタイルであったほうが伝わり易いというような
この辺りの議論は確かにあってしかるべきなのかもしれませんが涙
また(専門家が少ない分野の難解理論を掛け合わせていることから)
論理は正しくとも、情報伝達という観点から追いつかないとか
門外漢ながらいろいろ想像してみたりもしますけれど(笑)

そしてそれ以上に
数学って”特殊な学問”的な印象も在りまして。
その理由は、明らかで
数学が属する”形式科学”ですが、科学と名は付くものの
所謂”科学”とは、一線を画しているような学問のように見受けるからなんですね。
そう、人文科学に感じるあの違和に近いものがあります。

そもそも科学という言葉の定義自体が
曖昧なんですけれどね(笑)

私的には
科学と謂えば、
自然科学・社会科学といった
経験的手続きを踏む”経験科学”までが
その語に相応しいのかと思っています。

(一般に形式科学に分類される)数学は
偶有的事実に関わる知識を仮定もしなければ、現実世界の記述さえしない。
こちら、どんな経験的手続きからも影響を受けない
非経験的性質と表現できるものであります。
何故なら公理・定義の組み合わせの設定、
そしてそれにより演繹される定理によって
構築されゆくものだからなんですね。
この”演繹法”は、一般に、数学の他、哲学なども多くこの思考法を採用します。
一方の統計分析や経営戦略に多用される
共通項から事実を導き出して一般化するという”帰納法”
此れに比して演繹法は、そもそもが自明の理からのスタートになるんですね。
(ココなんですけれど
前提が多すぎると結論に至るまでのプロセスが異常に長くなりすぎ、
簡潔を試みると、論理が繋がらないという宿命を内包する思考方法でもあって
尚、持てる情報量といった力量にも大きく左右され
現実的には、その前提になる命題の真偽確認がひとつひとつ必要になってもしまう
という問題を抱える思考法であります結え、
冒頭に記したような処
今件推して知るべしといった感もある訳です。
また、ここで想起されるのが
ライプニッツの”理性の真理・事実の真理”が如く
真偽を決定する知的活動に於けるプロセス・方法は
分析判断と総合判断の二つに分かれるというこの概念。
こちらカントの
主語概念のなかに述語概念が含まれるか、
或いはそうでないものを総合的に判断するかという
あの区別に似てもいます。
換言すれば、分析判断とは論理法則・定義に基づくものであり
総合判断は、経験的検証が可能なものといったような。
ですがこの二分法とて相対的なものにすぎません結え
経験主義的教条に陥らないような注意は必要と考えてはいます。)

ですので、
形式科学の主張は、
ひとたび証明されれば、演繹的証明の必要のない自明的な存在。
(最早、アプリオリに近しい世界観なんですよね
論理的にも、方法論的にも。
よって、あらゆる領域に適用可能ということが言えるんですね。)

結果、”観察することに意味を持たない”がゆえ
科学法則とは見做せないと云ったイメージが拭えない訳で。

(詰まるところ
”観察することに意味を持たない”即ち
真偽が確定している命題・・・
分析命題だけで成立している形式科学は、
寧ろ、どのような分析命題が成立するかを調べる分析理論にも近くて
その方法の確実性からみても
現実の観察によって反証されることがないということなんですね。
この点において
反証される条件を明確に備えていて
さらに言えば文章上からだけでは審議が確定しない命題である
総合的主張を礎とする類の学問とは
一線を画しているという立場の表明でございました。)

当に、
数学が「一般科学に比して議論の余地がない」という
かのアインシュタインの言葉も彷彿とされ
数学は自然科学の類とは、大きく袂を別つところとは謂えませんでしょうか。
(科学を、総合的命題と申しますかあくまで現実を語るものとするならば
のお話ですけれど。)

その上で、
上記のスタンスは
(現実の観察によって、それが成立しない反証条件が
明確になっていれば、科学法則になりうるという)
カール・ポパーが、科学か否かの判断基準に反証可能性の有無を採用した
あの反証主義ともぴたりと符合するんですね。

人文科学の原語は、実は科学とは離れた”humanities”であるが如く
形式科学というカテゴリが”formal science”でなく”formalities”ならば
分類上は、もう少しすっきりするのかもしれません(笑)


※ところでこのABC予想ですが
実は、私のような未熟者には
自然数同士の和と積に関係性があるようには思えず
そこに関係性を見出すというABC予想は
未解決の予想 が、幾つも証明されるような
整数論を進展させるべく理論である
といったような記事内容に
とても興味を引かれてしまったもので
数年前のことであっても、妙に記憶に新しかったといった内的事情がございました。
具体的には
フェルマーの定理との具体的関係性に感動してみたり
整数の関係に内在する数学的現象の説明などに
幾何学的体系を与えている処など
この世界でも幾何学的アプローチが鍵になるのだと
カルチャーショックを受けてみたり。

もちろん原論文となると
どれも理解の及ばない雲の上のお話で・・・。

私にはせめて、日々を
演繹法と帰納法さらにヘーゲルの弁証法を
状況に応じて使い分けることだけで
精いっぱいに生きるしか術はございません涙



末筆になりますが
矛盾を明確化するそのことでも
論理は発展して行くんですよね…。

















参考

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【 2017/12/21 17:18 】

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