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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅵ
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交換原理に照らせば
作品と商品はよく似ているんですね。

マルクスは、商品とはマテリアルなもの
交換して始めて生じる価値
交換価値と看做しました。
(故、資本制生産は不透明性を持っていると。
マルクスの立場は、ヴァレリーの指摘にも似て
書き手(売り手)、読み手(買い手)を同時に見ることはできないとするもの。
意図や観念は存在せず、
作品が作者を作る ・読み手が作者を想定し
作者の思想が実在するのでなく、作品しか存在せず
作者の実在さえもマルクスは、
想像的主体に過ぎないと断じたわけです。
しかし、彼の論理に倣うなら例えばギリシア悲劇をどう捉えればという話になってしまう訳で
此処 、書き手も読み手もいらない、作品とは精神
といったようなヘーゲル美学的見解ならば、実に分かり易いんですね。
実際、あのフォイエルバッハのヘーゲル批判も
その精神哲学を感性の立場から批判した処までは
わからなくもありませんが
実は、ヘーゲル哲学は
観念論特有の制限性があるにせよ
フォイエルバッハらが捉えきれていなかった
人間の豊かなる社会的、歴史的関係性をも包括した
極めて客観的概念でありましたゆえ。)

そしてマルクスは、それまでの論理展開に反し
自身で、交換以前に価値=労働時間を設定し
結果、それを実体的なものと認めざるを得ない
論理矛盾に陥ってゆく。

さらには
等価性に根拠なしとしたアリステレスへの批判として述べた
価値=労働の結晶
所謂、価値形態論
(こちらアダム・スミス以来の、価値=労働時間説でなく
哲学に置換したらヘーゲルになるような思考法への
批判でありましたけれど)
を提唱する一方で
価値は、偶然、必要の問題とも記述しており

此処で、自身の絶対的剰余価値との矛盾を起こし
相対的剰余価値を肯定する
アリストテレス回帰をみせてもいました。

最早、Vermittlung(媒介)的現象構造の解明が
通奏低音のように
資本論を貫いている様相は否めないんですね・・・。

※Vermittlung: ヘーゲル用語
有限なものは単独では存在せず,他の有限なものとの関係性において成立しうるとする概念。
また,個々のものを、関係性において把握すること。










































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【 2018/01/11 19:53 】

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