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不確実性リアリスムの立場~曖昧という名の希望/決定論の虚しさそのパラドクス


古代ギリシャ語”angh”をルーツとする
ラテン語”anxietas”に由来する
”anxiety”(不安)

こちら、自己を脅かす可能性
そのリスクを予想することに纏わる感情
と申しましょうか、
そしてこのanghを題材とした
哲学の歴史は長いんですね。

この”感情”は
主観的体験に伴うものであるため
必然”anxiety”も主観的文脈で語られることが
多いのですが・・・。

          *

生とはそもそもが
不確実なものですから
この不確実性が
生のひとつのカタチであることを
受け入れるということ
さらには
この不確実性こそが
よりよく生くる鍵になってくる
というような視点
もっと謂えば
あらゆる決定論に抗する
”希望の源”となっているということへの理解が
大切なのかもしれません。

不確実性から目を逸らすことなく
受容し
不確実性の海に身を任せることができなければ
そこに実体的なものは生まれてきませんし
一方で
不安の緩和にも繋がってはゆかないものでしょう。

確実性ですとか決定性ですとかを
前提にした仮説、
(必然性或いは
確実性群の主題化といったように)
現実、そのありようをしっかり見詰め
分析するならば
それが果たそうとする道筋事体が
寧ろリアリティのない
錯覚であることへの気付きも叶いましょう。

冷静に考えるなら
”不合理”
これ自体必ずしも悪ではない

不確実性こそを
デフォルトに据えてゆく覚悟は必要なんですよね。

自然主義的認識論にみる
揺らぎ
あの曖昧性
実在性をしっかり認め
生は揺らぎゆくという本質を
見失わないことが求められているということになりましょうか
そう、
知識もひとつの自然現象でありますゆえ。

何事も二元論でなく

”程度説”的視点をも考慮しながらの
肌理細かな分析を忘れてならないということなんですよね。

ファジー機能の駆使
こちら
無常の世界観でも一役買いそうではあります^^

これからも
段階を踏みながら
不確実性のリアリズムに迫ってゆきたいと
日々考えているところです。

















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テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2019/06/08 23:34 】

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