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innuendo〜ミスリードされないために~誤読からの解放


一人称で語られる作品って
(申し上げるまでもないことかもしれませんが)
語り手の主観だけで進行してゆくんですよね。

よって、作者が語り手に備えさせる
全容理解への能力
或いは、記憶の曖昧さ
などによって
その記述に敢えて虚偽を齎すといった手法も生まれる

もっと謂えば
“語り手”がフィルターとなって
事実への理解が歪められていたり
語るべきことが語られていなかったり
ということがいくらでもあるということ。

こちら
私たちの住む現実世界同様に
真実と虚偽を見分ける道を与えるための
ひとつの表現技巧として英国文学など古くからから散見されます。

作者が一人称形式で
(受け手の見極めを密かに願いながら)
技巧を駆使して真実を歪めて描き出すという
こうした技法がある以上

主人公の語りは、額面通りである筈という思い込みのもと
ミスリードされたままの受け手と
真実に気付けた受け手とでは
(隠されていたが故に一層胸に響く効果も相俟って)
その読後感が大きく変わってしまうという事態も生じる

物語は、作者の手を離れたら
受け手のものですから
解釈は自由ですゆえそれはそれで構わないのかもしれませんが。

ですが個人的には
ミスリードされない
そう、
double meaning/entendreなど含め
語り手の不透明性を見抜く楽しみは失わずにいたいかナ
と。
作品に纏わるコンテクストを踏まえるなら
さらに行間を読めると申しますか
その細部の解釈もよりクリアになりましょうし
何より、真なる物語の世界観を狭めてしまわないためにも
心地よい緊張感をもって作品を堪能したいとは思っています。
















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【 2019/07/17 12:50 】

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