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薔薇の名前/ウンベルト・エーコ~ヴィンテージセピア~横浜山手の冬薔薇~ボッカチオ/デカメロン~ソロモン/ホイジンガ/中世の秋~プラトン国家~アレクサンドリアの大図書館~ボルヘス/バベルの図書館
記憶の欠片・・・

ノクターン

月光

しずく・・・

ライラックフレングランス

DSC_0001.jpg

サウダージ

ブルームーン

ノスタルジックロマンス

ラ・カンパネラ

小さな声で囁くだけで
詩的な世界が広がるようなこのWordたち

いずれも薔薇の名前です・・。

雰囲気
ありますね・・・


ファムファタール
セイレーン

そして

ラブレー
モーパッサン
etc....


”薔薇の名前”と謂えば

ヨーロッパの中世に迷い込んだかのような7日間を描き出した
エーコの小説に同名タイトルの作品がありましたっけ・・・。

14世紀の北イタリアのカトリック修道院を舞台にしたこの小説は
ITALYに古くから受け継がれてきた
そう、ボッカチオのデカメロンに象徴されるフレームストーリー仕立てになっていまして・・。
その手法は、
物語の中の物語の主人公の助手で
今は老僧となったアドソの手記(1327年に起きた事件の回想)を
1980年にエーコ本人が
大変に込み入ったプロセスを経て入手したそれ
つまり
書物の中の書物が
メインストーリーとなった構成
即ち”枠物語”になっているんです。

作者のウンベルト・エーコは
かの”フーコーの振り子”のエーコです
地球の自転を証明しようとしたレオン・フーコーがパリのパンテオンで公開実験を行った
あのフーコーの振り子が展示された場所で
クライマックスの時を待つその瞬間
終幕直前のシーンからの導入となる”フーコーの振り子”でしたが
そもそも
彼は謂わずと知れた
コナン・ドイルフリークと申しますか
シャーロキアンと申しますか
ですのでそこから押して知るべし的な作品になってます。

さらに

ーー私は中世を書いたのではなく
    中世に居ながらに書いたのだーー

このエーコ自身の述懐。

迷宮に誘い込まれるような不思議な感覚を呼び熾す
重層的筆致で綴られおり
そのアルス・コンビナトリア
結合術なるそれはもう鮮やかと謂う他形容が見つかりません。

また歴史上の人物を実名で登場させ
ノンフィクションをも意識させるあたりも含め
エーコの誘(いざな)いは巧みです。

ラテン語、ギリシア語、ドイツ語のフレーズが
原語表記のまま散見され
ヨハネ福音書1章1節の
ーIn principio erat verbum.ー

”初めに言葉ありき”に始まり
謎を解く鍵はアリストテレスの”詩学”ときて
ヴィトゲンシュタインの分析哲学思想への飛翔ともとれる
ラテン語詩で結ばれています。

また、
ソロモンの雅歌やホイジンガの”中世の秋”
プラトンの”国家”に
紀元前プトレマイオス朝のファラオによってエジプトアレクサンドリアに建てられた
古代最大にして最高の図書館アレクサンドリアの大図書館
70万巻にも及ぶとされる世界中の文献が集まる知の集積
それは学術の殿堂であり一大学術機関、また
ボルヘスの”バベルの図書館”なんかも彷彿とさせるプロット。

背景は
ローマ教皇と神聖ローマ皇帝とが
覇権争いに明け暮れていた時代ですから
必然、中世神学論争・普遍論争
時に異端審問や修道院の意義や役割から
終末意識に至るまで多くのテーマに切り込んでおり
衒学的と片づけてしまうには惜しいようなウラトラマニアックな作品で
個人的には一時期かなり嵌りました(笑

最終章になって
モーレーのベルナール説教詩からのフレーズを
ラテン語文ままに引用しているのが幾つか見受けられるのですが

なんといっても印象的だったのが
(アドソが筆写室に手稿を残して部屋を去った後の)
ラストセンテンス

ー-stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.ーー

言葉と実在の関係を如実に言い当てたこの一節。

解釈は議論の分かれる処ではありますが、

”初めの薔薇はあの時の名の中にのみ在り
此処にあるは唯、虚しき名のみ・・・”

こんなニュアンスになりましょうか

かつての栄華は何処(いずこ)に・・といったような無常感を謳う
ラテン詩は、中世に大変に好まれたテーマでありまして・・

ですのでこの物語でもその辺りは丁寧に掘り下げられており
この”メルクのアドソの手記”は元はラテン語であったものが
フランス語に翻訳されそれを
”私”が手にして懐疑的に受け止めながらもイタリア語で出版した・・
といったような設定になっているんですね。

原題はイタリア語ですが
英訳すると”The Name of the Rose”といった感じで
薔薇にも名前にも定冠詞が付いてます
なので
たぶん
タイトルの”薔薇の名前”は
アドソの初恋の少女
彼女のメタファではないかとも
とれないこともありません・・。

さらに理由はもうひとつ
登場人物で
名前を与えられていないのが
唯一彼女だけなんですね・・・。

このラストの一文を
紐解いてゆくなら
それはそのまま中世普遍論争に陥ってしまいますので(笑
ですので
シンプルに言ってしまえば
ーー実在は何処にーー
といった哲学議論ということになりましょうか。

論理思考界でのオッカム(主人公のモデル)は
鋭い近代的かつ合理的思考をもって経験的科学的認識論に立つ切れ者として知られ
唯名論の名手とされた人物です。
唯名論とは実在するのは個々のレースであり、
普遍観念(エイドス)は単なる名に過ぎないとした見解なんですね。
一方
このエイドスまでも実在とした概念が実念論でありました。

突き詰めれば、
薔薇の名前(普遍観念)は実在か、単なる名に過ぎないか
といった処に行き着くのですが
実は
実在するのはその薔薇自体としたオッカムに追随していた筈のアドソが
最終章になって或る変化を見せるんです・・・

その理由
それは

アドソが生涯にたったひとつの恋をして
心に
消そうとも消すことのできない大切な何かを宿した

心に残された”名もなき名”の内側に
実在(彼女の魂)を見出すことができた・・・
ということでありましょうか

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rosa pristina(原初の薔薇)だけに実在があるとしていた彼が
nomina nuda(空の名)としか認められなかったその中にも
哀しくも美しい愛の鼓動が息衝いていることに
気付かされた・・・

秘めたる想いの奥深くに
愛するひとの実在を見出したとき
初めて
ひとは
永遠を手にすることができるのかもしれません・・・。





















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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/02/27 17:34 】

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