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カント~コペルニクス的転回(パラダイム転換)啓蒙主義/ヒューム~ルソー~オランプ・ド・グージュ /フランス革命~サマセットモーム~
ーー天空に広がる星空と、人間の内なる道徳法則
      私はこの2つに畏敬の念を抱いてやみませんーー

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こちら
18世紀からのメッセージ
イマヌエル・カント”実践理性批判”結びのフレーズです。

彼は哲学するため自身で語った
コペルニクス的転回により
人間のもつ純粋理性、実践理性、判断力・・・その性質と限界を考察し
ひとは何を知り、何をなし、何を望むか
といった人間学としての根本的疑問を
彼ゆえの慧眼によって
各々”純粋理性批判””実践理性批判””判断力批判”
に総括し世に送り出したんですね。

個人的にカント哲学は
根源的発想を踏まえても
キリスト教の”弁証論”として
始まったように思っています
理性でなく道徳性の中にそれを見出すといった
その考え方・・・
逆に謂えばキリスト教は
それほどまでに哲学的であったと謂えなくもありません。

自然哲学に始まったカント
次なる啓蒙主義ではその脆弱性を見抜き
理性の有限性を主張しました。
尚、ヒュームの経験主義をして
道徳性は必然、実践的理性のうちに普遍的に前提されると説き
彼を超えてゆきます
そして同時にカントは
”知性の拠り所が感性である”ことに至っていなかったプラトンをも
その意味で超えたんですよね・・・

人間への肯定感が弱かったカントの理念ですが
ルソーの”美と崇高の感情に関する観察への覚書”に触れ
彼の追求姿勢は人間への崇敬に裏打ちされるようになり
その後の道徳哲学、人間論は大きく変わって行くこととなります。
ここにルソーの偉大さをも改めて思います・・。

こちら実は
先日来のレ・ミゼラブル論関連のフランス革命に纏わる処にて
お寄せ戴いたMAILのご返信として綴ったものです。

カントの革命観は、革命権を認めていませんでした。
彼の国家理論としては、法の秩序を脅かす暴力は
非倫理的なものとして排除されていたということなんですね。
また、その一方で法を定める者のあらゆる暴力をも批判しています。
さらに、このフランス革命に限定して云えば、
カールフォアレンダーの記にも在りますことを
(詳しくは章を改めねばなりませんが)端的に表すなら
総論(共和主義国家樹立及び周辺国家への影響)賛成、各論(方法論)反対
とでも申しましょうか。
当にユーゴーのそれとして当ブログに展開して参りました彼の論に大変に近しい
という印象を
個人的にはもっています。
これは偶然ということでなく
それらが如何に合理性正当性を有した良識ある見解であったかの
裏付けになろうかとも思うんですね。

そしてこの時代となれば*****さまのおっしゃるグージュ
想起されますよね
解かります・・。

フェミニズム運動の先駆者
フランス革命時の”見事なまでの女性の権利不在”を糾弾した女性。

このオランプ・ド・グージュ
共和主義にありながらもルイ16世の処刑に反対し
反革命の容疑で処刑(革命派の行動が生硬であったことは既出の通り)されているのですが
刑罰原理に限定して謂えばグーシュは
ユーゴーに依った概念であったかもしれません。
一方カントのそれをみるなら
実は彼
一貫して”talio”(同害報復)主義者であったんですね・・

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200年以上も前の何某かを
現在の私たちの価値観で測るのは当らないでしょう・・。
そして
カントが往時ヨーロッパのあの時代背景にあって
最高叡智を有するひとりであったことに違いありません。
学生時代、
サマセット・モームが
彼の純粋理性批判を”抒情的”と受け止め
解放感さえ覚えたと記しているのを目にしたとき
”開放感”というのは理解できたとしても
この書物をどうしたら抒情的と評せるのかと
訝しく感じた記憶があります
しかもその人がカントとは対極にあるような
平明筆致の作家モームであったから尚更でした。
そもそも私はこの”三批判書”に
教授(教師陣)特有の執拗さ(いい意味で)を感じていましたので・・。
同じ事象を説明するのに
多角的に幾度も切り込んできますし
さらに同一対象を示すのに
敢えて言葉を替えて表現しているんですね。
ですからそれと察しが付けばすんなりと意味は取れますが
そうでなくば混乱してしまうといったような
読み辛い側面を抱えている書であったろうかとは感じていました。
確かに同じ単語を繰り返さないというのは
美文の基本ではあるのですが
哲学・思想系の論文でこれをやられると
かなり参ります(笑

改めて鑑みるに
それがパラダイム転換的であればあるほど
否が応でも情熱的に受け止めてしまうでしょうし
しかもやはりカントは美文派
かも・・なんてポジティブに思い直してみたりもしています^^
結えあのモームの印象は鋭かった
ということでしょうか

そして冒頭の言葉
”人間の内なる道徳法則”はそのまま
ルソーに置換できるものである
と私は思っています。














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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/03/14 08:54 】

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