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私的”嵐が丘”論 Ⅰ~エミリー・ブロンテ
”トム・ジョーンズ””高慢と偏見””赤と黒””ゴリオ爺さん””デイヴィッド・コパーフィールド”
”ボヴァリー夫人””モウビー・ディック””カラマーゾフの兄弟””戦争と平和”に加えモームが
世界の十大小説(正確にはTen Novels and Their Authors)に数え
(此処の難点はモーム自身の作品”人間の絆”が入っていないという事!?)

また
ブランデンが”リア王””白鯨”と並べて
英語文学三大悲劇と賞賛した作品

”嵐が丘”

DSC_0082.jpg

原題は”Wuthering Heights”
直訳ならば”激しい風の吹く丘”
それを”嵐が丘”と翻訳したその美しき感性に
魅せられたことがこの作品を読み始めた
切っ掛になったのですが・・・。

所謂”古典文学”に於いても
万人に
すんなり受け入れられる作品ばかりでは
ないようです。
そしてこの”嵐が丘”も
そのひとつなのかもしれません。

実際この”嵐が丘”では
読者が感情移入するために必要な説明が省略されていたり
構成が盤石でなかったりといった
”解り辛さ”を抱えた作品であるということも
それに起因しているかと思われます。

ですが
あらゆる芸術において
どこにも脆弱性のない作品の方が寧ろ
稀有ではなかろうかと。
さらには
その脆弱性をもってして
受け手を作品に惹き込むことに寄与させるものこそが
優れた作品と
謂えなくもないのかと思ってみたりもするんですね。
不完全性ゆえの魅力
確かにあると思うんです。

この作品の解り辛さ由来のひとつに
地の文
そのストーリーテリングの問題があります。

基本、小説は第四の壁を前に
語り手がクレバーであってくれれば
読者は理解し易いのですが・・。

point of view・・・
ここで作者エミリーが選んだ存在は
三人称の語り手。
19世紀ヨーロッパの小説でも
三人称で叙述されている作品は少なくありません。
思い付くだけでも
フローベールの”ボヴァリー夫人”
セルバンテスの”ドン・キホーテ”
カフカの”変身”など大著が並びます。
ですが
エミリーが採用した語り手は
全知(神の視点)ではなかった・・。
読者が理解しやすいように物語を説明する語り手を
”信頼できない語り手”として
エミリーは設定しているんですね。
”unreliable narrator”と呼ばれるこの概念に照らせば
エミリーには当初から
主人公が知見したその総てを読者の前に提示する意思は
なかったことが見て取れます。
そして
ここに原作者の意図がはっきり表れています。

narratology
所謂”物語論”の分野で謂う
一元視点の三人称小説は
異質物語世界観で構築されています。
ですので
読者が知りたいと切望するような
重要な出来事をバッサリ省略することも可能です。
よって
もどかしさに相反するが如く
受け手の想像を掻き立てることができるんですね。

実際この”嵐が丘”は
読めば読むほどに
新たな解釈を引き寄せます。
そして
どんなに求めても
汲み尽くせない
その神秘性も魅力のひとつであろうかと。

行間を読まされる楽しさ
想像力を駆使させられる歓び
それゆえか
時に構造主義的に
時にマルクス主義的に
時にポスト構造主義的になどなど
それぞれの時代に叶った
多くの文学理論の立場から
幾星霜を超え
研究され続けながら
現代の今になっても
統一見解が見出せていない小説
それが
この”嵐が丘”なんですね・・。

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文芸に限らず
多くの解釈を呼び起こす芸術作品は
”伝説”になるようです・・。



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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/04/18 17:35 】

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