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詩的散文 Ⅱ~哲学と詩
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西洋でいうエッセイは
日本のそれとは少し違っていて
そこには
”詩的散文”といったニュアンスが内包されているが結え
確固たる文壇的地位を確立しています
そう・・日本で謂えば
かつての枕草子や方丈記、
奥の細道などの第一級の随筆群が
それに呼応するものであり
それらをして、典型的詩的散文と見做し
権威ある文学形式の一角を為してきた
ということであろうかと思うんですね

その後明治以降になってから文壇には
美文調の作家も多く登場しましたが
自然主義の台頭、その潮流に呑まれてしまった
というような処が見受けられるのです。

ですから、
エッセイは散文精神でなく
詩的精神によってのみ書かれるべきだ
といったようなことを執拗に訴えていた
朔太郎のあのメッセージ
その彼の憂いは
まだ学生だった頃の私のココロにも
鮮烈に響いたものでした。

ーー哲学は、概念であり、思想であり、形である
       詩は、光であり、リズムであり、感傷であり、生命そのものであるーー



そして今も
そんな朔太郎の強き思いが
胸から消え去ることはなく
いつしか
詩を
そして哲学をも
それぞれ大切にしたいと切に
考えるようになっていました。
日々、こうした視点で
書物に触れゆくなかで
見出したるもの・・・
それは幅広い知の上に
理性と感性をバランスよく
育まれている方に備わる
ある特別な”美の佇まい”でありました。
(もちろん何れかによっても美しいものです)
バランスは寛容とも親和性が高いようで
えもいわれぬ暖かさや優しさを齎すんですね・・。

こちら
その作品に対峙するなら
時間を於かずともすぐにそれと察せられる類の
啓かなものであって
そうした素晴らしき出逢いがあったなら
心は捉われ
容易に立ち去ることは叶いません・・。
 
あのエストリルでの巡り逢いのように
対象がこの世から消えてしまっても・・・

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ーー医学的に我々は色や音を認識するために異なる感覚器官を用いる
    同様に、芸術の基質や哲学の基質を全く同じ眼差しでみることはない
     何故なら、一方は感性的傾向で、他方は理性的傾向でみるのだからーー
















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テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/05/12 00:07 】

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