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詩的散文 Ⅴ~ネガティブ・ケイパビリティ理論/キーツ/ロマン主義~ゲラッセンハイト概念/ハイデガー
古代の思索家たちは既に詩を定義していましたが
後の美学者たちはそこから叙事詩・抒情詩・劇詩をして3大ジャンルとしたんですね。
ですので彼らの出発点はと謂えばたぶん(いつの時も)アリストテレス
かの”詩学”となる訳でして・・。

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こちらルネサンス期のヨーロッパは勿論
イスラム黄金時代の中東全域にも影響してると言われています。

彼らの定義は厳しいです
まず以て
散文は、詩と対極にあるものだ・・と。
朔太郎の拘りとも対極にあります(笑

散文は論理的説明や
時系列(物語)構造を持たせる作品
として理解されてきました
一方で
詩の目的は、論理に寄らず、物語に寄らず
自由な思考過程で”崇高”を表現する
といった見解なんですね。

そこで想起されるのが
英国ロマン主義の詩人キーツの
”ネガティブ・ケイパビリティ”理論です。
こちら的確な訳語がないようにも思うのですが
謂ってみれば
”混沌性受容力”
といった処でありましょうか。

テクストは必ずしも総てがクリアに理解できるものでなく
其処に或る、不確かさ、不可解さに
戯れることができるひとにのみ受け入れられる
という意味性としての
”ネガティブ・ケイパビリティ”
真なるものは、イマジネーションの世界観でしか見出せない
というキーツの見解でありまして。
こちら如何にもロマン主義者らしいアプローチと云えましょう。
(この観点に照らせば絵画や音楽だけでなく根源的には文学自体もどこかしらに
内包されている・・と云えなくもありません)

”真正性”とは他の如何なる手段によっても解明されるものでなく
それを以て”不確かさ”としているんですね。
そしてこの不確かさは
存在とその完全な理解への可能性の
狭間に在るというという考え方であり
これは極めて現実的実態に則したconceptであろうかとも思うのです。
(キーツが謳った”Mansion of Many Apartments”というメタファー
そのルーツでもあるわけで・・。)

こうして意識的に
自身を自在な思考状態に持って行くこと
それは、文学のみならず
哲学的スタンスにおいてさえも有用な概念のようです。

現に19世紀前半に
米国の哲学者デューイは
このネガティブ・ケイパビリティに係る論文に関して
”生産的な思考を導く心理学説が他の数多くの論文よりも多く採用されている”
と記していたほどですから
哲学的プラグマティズムにも
有益であったことは明らかと謂えるものでしょう。

こちらと同系列の考え方に
不確かさや不可解さを受容することにより
”その事象を在るがままの状態において置くことを可能にする精神の自由さ”
が内在するとした”ゲラッセンハイト概念”があります。
ヘルダーリンやトラークルの詩の研究でも知られる哲学者ハイデッガーの主張です。

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20世紀まではこうして
論理性とは別物であること自体が
”詩の要素”と見做されていた時代でありました
が、それはさておき
ナンセンス文学や詩の世界観に限らず
対象が必ずしもクリアに理解できる性質のものではないとして
時に”知識理論の拒絶”を受け入れること
それは生きてゆく上にも
必要な能力と謂えるのかもしれません。
もっと言えば
解決できない事象を敢えて受容する能力をもつ者こそ
真正に近付く
といったようなニュアンスも含まれているように感じています。
















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【 2013/05/20 09:55 】

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