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フランドル絵画とその精神性 Ⅰ~プロテスタント/近代資本主義/内発的活動~デューラー/ファン・アイク
”最初に購入された画集がデューラーで
   2冊目に購入された画集がファン・アイク”という藝術家のあなたへ

当blogフランドル絵画の記事に纏わり
素敵なMAILを戴きまして
その大切な想い出に接し
胸の奥深くに眠っていた
デューラーの”ネーデルラント紀行”に記されたフレーズ
”あまりに素晴らしい・・・”に始まるあの一節が
甦って参りました
それは聖バーフ大聖堂に収められている
ファン・エイク兄弟の手による”神秘の子羊”へ向けられた賞賛の言葉でございまして
ここに想いを致しますと
そのお気持ちが伝わってくるようで・・・

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ーーあ・・・因みにブリュッセル郊外の随想で
ブラームスを列挙したのは他でもなく
"藝術的スタンスの転換期"という共通項で
括ったまでのことでございましたーー



ここにお贈り戴きました
フランドル地方の画家たちに纏わるメッセージとは
かの地での”活発な商業活動”
そして”優秀な商人を育むような精神活動”
さらに”プロテスタンティズム”
ここに通底する何ものかがありはしないか・・

そしてそこで育まれた精神に裏打ちされた画家たちの
現実肯定的な力強さ・・・
といったような
奥ゆきのある考察が記されたものでした。

こちらのMAILに
甚く共感致しましたのは
私自身が素晴らしき藝術作品に邂逅したとき
その偉大さの前に
言葉もなく立ち竦んでしまい
時が止まったかのようにただただ魅入る時間
自身の中のあらゆる感覚、経験が呼び覚まされ交錯し
想いは止め処もなく溢れてくる・・・
自在な思考を巡らす儘に身を任せるあの至福の時間は
藝術鑑賞歓びの極みであろうかと
強く感じているところからなんです。

彼は
ルーベンスにもフェルメールにもレンブラントにも
ゴッホにもマグリットにも
そして
今回私がクレラー・ミュラー国立美術館、ハーグ市立美術館で初めて対面した
コンポジションの画家モンドリアンや
さらには
アントワープ王立美術館でまみえた
カーニバルの仮面が印象的なJames Ensorにも触れてらして
この辺りはどうであろうかと・・・。

そしてそんな彼らを
ロシア革命時に亡命し
ブリュッセルで美術を学んだニコラ・ド・スタールや
自身だけの作品展示室ロスコルームを強く望んでいた
マーク・ロスコらに比して
そのメンタル面を対比してらしたもので
それはあまりにカオス的と申しますか
美術史以外の観点
歴史的思想文化的検証を綿密に重ねても
確定的な結論はたぶん出せない・・

とにかく大変に重層的で多元的で
輻輳していて・・・

けれど
私も何かしらの傾向はあると
思われてなりませんでした。

まして専門家(芸術家)の方のお感じになる
直観ですとか
その思考プロセスですとかは
私にとって学びであり
本当に興味深くて
大切にしたいと思っています・・。


歴史を鑑みるに
ネーデルランド毛織物の興隆期は
実はプロテスタントが興る中世
宗教改革以前からではあるようなのですが・・・

それは
ネーデルランドというよりは寧ろ
フランス北部、ベルギー西部、オランダ南西部にあたる
所謂フランドル地方が興りなんですね
そして
程なくして始まった宗教改革に対し
このエリアではカトリックによる
カルヴァン派(プロテスタント系です)の迫害が始まるのですが
このカルヴァン派
その多くは
確かに
海運、貿易を担っていたその道のエキスパートでありました。
そうなんです
プロテスタントでありまして

まさに
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーの
プロテスタンティズム倫理と資本主義精神に合通じるところなんですね
研究者の間では
プロ倫とも呼ばれるこの概念
その展開を一言で謂うなら
ーー往時、カルヴィニズムの影響が色濃く出ていた国(英米もそうですが)は
”非合理的合理主義”で埋め尽くされていた
そして、このイズムが近代資本主義を発展させたーー
こういった理論です。
(”非合理的合理主義”言葉が相反しているようですがここがポイントなんですね)

少しだけ説明させて戴くなら
上記”非合理的合理主義”の非合理性を内包しない
通常の合理主義ー実践的合理性を図ったのが
イタリア、スペインに代表されるカトリックの国々でして
こちらは顕著に、資本主義に遅れを取りました。
そして
これを単なる偶然ではないと考えたのが
ヴェーバー、そのひとだったんですね
ここで彼が着目したのは
カルヴァン主義の”予定説”
こちら
”善き人間は救われる”とした因果論の完全否定
であり
人間は、お布施や献金などで救われる類のものではないとし
神の意思は人間には不可知であり
もっと言えば
”神の絶対性の堅持”を主張したものでした。
さらには
これキリスト教ですから、仏教のような
輪廻転生の望みが在るでなく
もうこうなれば
人々は救いを求むるべく手立てが何一つなくなってくる訳なんですね
よって
この予定説は
人々に極度の不安と緊張を強いることになったのですが

それに立ち向かうべく
彼らがとったスタンス
これが凄くて・・

”救いが何処にもないのなら
只管、ストイックに生き
持てるエネルギーの総てを
信仰と労働に捧げ社会に貢献する”

というものだったんですね。
こちら
逃げ場を失くした彼らが決して諦めずに
コペルニクス的転回で切り抜けるという
生命力の強さを如実に顕したもの・・

と申しますのは
最終的に救われる人間とは
理想的人間に違いないであろうと
彼らは確信した
であるなら
理想的人間に到達しようと

そうなれば必ずや救われるに違いない
こうした逆転的とも謂える三段論法は
如何にもポジティブで
なんとしても生き抜くという逞しさに満ち満ちています。

それまでカトリック(ヘーゲルの”美学講義”にはカトリシズム
なんていう言葉もありましたけれど^^)と同様に
利潤追求を否定してきたプロテスタンティズムでしたが
利潤を得ることの否定
それは取りも直さず
資本主義と相容れないものになってしまう
ですが、彼らはそこに陥らなかった

目的はあくまで勤労奉仕
そしてその結果としての利潤
そして
得た利潤は
禁欲的概念のもとに浪費せず
大切に蓄積しさらなる資本として
新たな市場に再投資する
というこの姿勢は
利潤追求を否定し続けた南欧のカトリック圏で顕著に見られる
穏やかな労働とは
対極に在る労働意欲でありまして
科学的合理性に基づいた生産力の高いシステム導入を図るものであり
バイタリティ溢れる現実肯定的労働と謂えるものではないでしょうか・・。

労働の動機が外圧的なものでなく
内的なそれ
自発的であるという
此処、ここの意識が
生きる原理ともなってきたのではないかと
私は思うんですね。

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ささやかな個人的考察を加えさせて戴きましたが
その後の彼らの発展的成功を鑑みるに
もう一つの偉大なる精神性を
想わないではいられないんです

それを・・・
次回
触れてみたいと思っています。














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【 2013/08/03 10:04 】

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