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イェイツ/アングロ・アイリッシュ~シェイクスピア~芥川~タゴール/GITANJALI
先に記した
イェイツ詩集からの”upstannding”に纏わるメッセージをお贈り下さったあなたへ

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僅かに綴ったあのWORD
胸のずっと奥で感じる大切な願いに寄り添って尚
”遺言”という重要ワードを
差し込んでお便り下さったこと

そして
ダンテやイェイツのような愛の在り方
それは、見方を変えれば
ー芸術が愛の可及的純粋な表現であるー
の具現化とも謂えるもの
こうしたスタンスは
”過去は上手に忘れ、より哀しまず、苦しまず
日々が平穏であることのみとを是とする”人生観とは
どこまで行っても平行線
決して相容れないものでありましょう。

ですが
どんな哀しみであっても
たったひとつの愛しか選びとれない
私のような不器用な人間にとってみれば
彼らの生き方に
痛いほどの真摯さ誠実さを覚え
そうであるが故に齎される深い精神性
その奥行きに惹かれて止まない魅力を感じるのです。

*****************************************************

イェイツは典型的な”Anglo‐Irish”でらして
このアングロ・アイリッシュは18世紀
名誉革命期あたりから市民権を得た言葉のようで
もともとはアイルランド生まれの英国人を意としていたもの
それから
ゲール語でなく英語で書かれたアイルランド作品が
Anglo‐Irish文學なんて呼び方もされるようになり
優秀な思想家も多く輩出される豊かな文壇なんですね。
そもそも
ケルト研究は、当のアイルランドよりも
英国で深められたという経緯がありまして

下記はケルト作品集からの私訳ですが

ーー深い森に暮らす
碧い息という意の”デオン”の名を持つ精なる女
華奢な躰に
月の光のような輝きを放つ瞳を湛え
柔らかなものごしで
可憐に咲く白い花の露を
来訪者の掌にそっと贈る・・・ーー

こうした
自然美を愛で
そこにあわれを見出す感性溢るるお話が多いんですね。

最期のロマン派詩人と称されるイェイツ作品には
こうしたケルトの神話
或いは諸伝説の類が多数引用されています
ですので
一見fantasy的傾向を感じさせる一面もあるにはあるのですが
寧ろ
苦悩、葛藤と闘い
それを乗り越えるといったような
云ってみれば、限界への挑戦ともいえる世界観を構築した
詩人ではなかったかと感じています
そして
その善き理解者のひとり
それが我らが芥川だったということになりましょうか。

産業の発展に伴い
イェイツが憂いた精神的脆弱性
それを補ってあまりあるような
あのケルト文化は
合理主義の対極の価値観を有し
(アイルランドといえば、ケルト音楽でも名高き故)
生粋の芸術気質の文化といったイメージも持っています。

イェイツの碑文は
最期の詩集
”バルベン山麓にて”からのフレーズ

ーCast a cold Eye
      On Life,on Death
          ・・・・・・・・・・ー
(詩文にはこれを墓碑銘とはせず、石灰石に刻むことを想定した説明まで為されています)

物質文明への憂慮も然ることながら
彼の生きた時代背景を鑑みるに
多数の犠牲者を出した
アイルランド独立戦争があり
かの大戦後の寂寥感に包まれてもいた
そしてなお
ヒトラー率いるドイツは、アイルランドに侵攻している最中でした。
そうした極限状況に照らせば
作中の”What matter”のリフレイン
そして
冷厳なる眼差しを生と死に投げてなど
如何に重い言葉であろうことか・・・
そして直、立ち上がろうとする彼の強い意志も伝わってまいります。

歴史とは
綺麗ごとだけで刻まれ行くものでなく
文明が高まり
洗練されゆくプロセスもまたしかりでありましょう
そこでのイェイツ作品に
創造的エネルギーを如何に発揮しようとも
負の体験は否応なく降り懸かってくるものであり
常に対峙させられる破滅的なそれとの鬩ぎ合い
その相互作用(例えば知愚の対立)こそが
精神の豊穣性を育みゆくといったような
主知的スタンスでの目線に落し込んでゆく詩文も散見されます。

現実を冷徹に見詰めていたイェイツですが
メタファに過ぎる処は(そこがまた彼の魅力なのですが)
難解(誤解釈を生みやすい)とされる由縁なのかもしれません。

政変に呼応するように紡がれた彼の作品群は
時に激しく
(シェイクスピアの如く)時に”tragic gaiety”に導かれた演劇論となるのも
無理からぬことでしたでしょう。

タゴールのGITANJALIの紹介文を切っ掛けに
イェイツ詩集を紐解かれたという経緯に接し
なにを於いても
タゴール本人が優れた英訳を成し遂げたという現実のなか
イェイツの激賞が
彼を伝統ある英国詩壇に押し上げたこと
非ヨーロッパ人初の(しかも原書はベンガル語です)
ノーベル賞受賞ですが
当時から世界の融合と調和を願った彼が
受けるべくして受けたものと
そのようなことを改めて考えさせられました。

タゴールのギタンジャリ
珠玉の名品とはまさにこのことで
小さな詩集でありながら
行間から毀れるヒューマニズムの輝きは
さながら詩歌の真珠のようであり
一瞬の永遠を求め続けた彼は
こうして後世の誰もに愛される
永遠なる逸品を残し意図せず
その夢を実現させてしまったんですよね。

かの
シュヴァイツァーが
タゴールを”インドのゲーテ”とまで称えてらしたのも
頷けます。

彼らの先にある
ギリシア語myein由来の”mysticism”
宇宙の究極的根拠に
絶対的存在といったような
所謂最高実在の自己内体験を目指すようなイズム
歴史的にはピタゴラス教団あたりから
その後の新プラトン主義など
アジアでは、道教、密教などがその範疇とされているようですが
そこには古代ギリシアそしてヨーロッパの哲学
さらには仏教中枢概念の萌芽さえ内包しているよう
これらを踏まえ
時に純理哲学的に
時に抒情的に謳うイェイツはケルト文学に信頼をおき
情調を備えたタゴールの
真実への深い理解は東洋思想に裏打ちされたものであった
そしてその共通項には
日本古来の美意識とも重なる
人がひととして備えておかねばならない
大切なこころがこめられているように
感じています・・・。









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テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/07/12 17:07 】

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