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南南西から・・・環世界の移動~”どうにもならないこと”



第二次世界大戦前夜
ドイツの生物学者ユクスキュルが
ベルリンで出版した書にある”Umwelt”は
感覚機能によって
環境は各々異なって捉えられる(=種固有の知覚世界)とした
動物学的環(境)世界を指すものでありました。

こちら、環境が生物へもたらす意味性を鑑みれば
それぞれの個体を中心に意味を与えていったものこそが実環境であり
そこには意味を為すものしか存在しえない
客観的環境に順応しながら生きざるを得ない動物は
自身が作り上げた主観的環世界の中でのみ生きている
としたところ
このあたりが主題の古典的名著であります。

物理学が導くような一意的世界観でなく
独自なるその構成により
動物は異なった全く別の環世界に浸って生きている
そう、何を以てその構成要素とするかにより
世界は全く別の様相を帯びてくるといった視座を備えたこの概念は
広義には哲学の範疇かと思うんですね。
ヒトもその生育環境から始まり
成長してゆく過程で体得した
知験等によって
世界の見え方、感じ方が大きく変わってくることは
哀しいほどに顕かです結え。

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環境という言葉のもつ客観的イメージを
一掃するようなこの理論は、
人間が対象を認識することで
初めてそれが実在となると考えた
カントの認識論に通じる概念であり
”個”のもつ認識方法でしか
対象は認識できないということを示唆するもの・・・。

知識・経験よって構築されるのが”人間の環世界”であるならば
このような視座なしに
他者への真の理解が及ぶとはやはり思えないんですね。
だからといって不可能が可能になるという様な
夢のようなお話ではなく
(現実は時に残酷で)
如何にしても通じ合えないという
閉塞的結末を迎えるにしても
その前に執るべき指針
一定の方向性、選択肢というものは、見えてはまいります。

一方で
知識経験依存の環世界であればこそ
学びによって
他者の環世界へ移動可能なパラメータ
その自由度をも持ち合わせていると
換言できるものでもありましょう・・・。

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※学びの本質に根差すもの
ここは私たちの努力の範囲内と信じたいところ
ですが最早其処には立ち返れない
といったような差異
(もしかしたらこれがいちばん厄介で・・)
或いは
他者を思い遣る心その根源的部分での
温度差が埋められなければ
静かに見守る他手立てがないような関係性を認めること
それをして
不可能性を受け入れる能力と呼んでも良いのかと
思えてもしまう
今日この頃です・・。

































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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/10/22 17:51 】

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