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モネ/印象派~睡蓮/ルーアン大聖堂/積みわら/ポプラ並木~小林秀雄/三島由紀夫
ー瞬間こそ永遠と信じる道だったのであろうかー

monet-rouen-cathedral-grey-and-rose.jpg

フランスの古都ルーアンに在る大聖堂を描いたモネの作品。
ルーアンは百年戦争下、ジャンヌ・ダルクが処刑されその灰がセーヌに流された地であり
また教会が多く点在する街でもあります。
モネは此処にあるルーアン大聖堂のファサードを
ほぼ同じ構図で30点近く描いています。
違うのは、時間、光、色彩。
私はこの絵に魅かれてルーアンを訪れました。

陽の光が差し込んでいる限り
ルーアン大聖堂は刻々と表情を変えます。
全く別の建築物のようにその色彩を変えて行くんですね。

「この絵を観る人に自分が感じたものを追体験して貰いたい」
モネの言葉がここに残されています。
光を""したこの聖堂を眺めていると
時間とともに
モネの一連の作品が、Repeatabilityにも匹敵するReproducibilityといった印象さえあるほどの再現性を秘めていたことに気付かされる・・・、
有意な時が流れました。
朝、この聖堂の背後から陽が差し込み始め、午後に太陽は聖堂の正面に廻り込んできます。
そして斜光角度が下がってくると聖堂西側の建築物がファサードに陰翳を創りはじめます。
此処にこうして厳然と立ちはだかる大聖堂は、あの時モネの描いた大聖堂、
「一回性」「再現不可能性」の否定をも内包しているようにも受け取れる作品・・・。
あとは、言葉になりません。

モネが後年になって制作した”積みわら”ポプラ並木”ルーアン大聖堂”等の蓮作をもって
小林秀雄氏は次のように記されていました。

ー瞬時も止まらず移ろい行く、何ひとつ定かなもののない色の世界こそ、これもまた果てしなく移ろい行く絵描きに似つかわしい唯一の主題だと信じていたのであろうか。そしてそれは瞬間こそ永遠と信じる道だったのであろうか
中略
風景を描くとはこの主題的な色彩の反映を展開させることだ。それは丁度音楽家がソナタの或るテーマを展開させるのと同じ性質のやり方である。従って音楽家にとって音楽の観念とは音のハーモニーをもった展開自体を指す様に、画家にとっては絵の観念即ち色の展開であるー


古典的文脈で謂えば、聖書、ギリシア神話、シェイクスピア作品が多く絵画のモチーフとされてきたという芸術的経緯、謂いかえれば芸術家たちが強くインスピレーションを受けるその対象にはある一定の法則があったことをおそらくは認た上で、敢えて”絵画に似つかわしい”唯一の主題”とさえ踏み込んだ氏の洞察。
モネ自身気付き得ない深層にまで降り立とうとする
そうした徹底性からか絵画を悉く音楽に、文学に映し出してゆく
美の極み、美しき芸術のその先にあるもの形而上的存在まで突き詰めてしまうおうとするならば
もしかしたら、それは、一点に収斂されてゆく。それこそが
(総てが移り変わって行くなかで)唯一”永遠なるのもの”であるのかもしれません。


小林秀雄氏の”美”に向け続けた透徹な眼差し
対象の深淵に迫らんとするその覚悟
そこにある厳密な論理性
かつての三島由紀夫氏に通ずる硬質な 感性に裏打ちされたその孤独性が
ルーアン大聖堂とともに心の琴線に響いてきます。

384px-Claude_Monet_-_Rouen_Cathedral,_Facade_(Sunset)



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テーマ:絵画・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2012/09/23 13:18 】

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