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すべての遠景は青に近付く Ⅱ~哀しみの青
DSCN9931.jpg

イタリアはミラノ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の
”最後の晩餐”は
ひとが描いたとは思えないほど
なめらかに美しい作品だ

構図も
色彩も
そのすべてが。

修道院
仄暗い食堂の
壁面に描かれたテンペラ画
キリストに纏せたあの布色
セオリー通りの青には違いない
だがはそれは
時の重みを背負った
例えようない深さを湛える
なんと優しい 
けれど
なんと哀しい青色だったろう・・・。

















テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2015/11/24 00:12 】

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bird's eye view~ヴェネツィア鳥瞰図/ダ・ヴィンチ


鳥瞰図
所謂 パノラマ図、俯瞰図であり
上空から斜に
地上を見下ろした光景を描いたもの
なんですけれど
その眼差しに魅せられます。

美術館でなく
画集であっても
ひとたび出合うと
時間の許す限り見詰めちゃう
そうした傾向持ち合せています^^

古くは、1500年 ダ・ヴィンチの手による
”ヴェネツィア鳥瞰図”など印象に残っていますが
そもそも鳥瞰図なるもののあの立体感が
妙な臨場感を呼び起こすと申しますか
透視図法によった三次元的描画と
時にデフォルメされた表現が情感を刺激し
リアルに胸に響いてくるその不思議感覚が
好きみたいです(笑





















テーマ:暮らしを楽しむ♪♪ - ジャンル:日記

【 2015/10/04 00:03 】

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私のなかの”来るべき者”~クレーへ~maintain my composure


何気ない日常の風景
今日も
朝陽が街を照らし
緑はそよぎ
小鳥たちはさえずり
人々は行き交う

いつもと変わらない
朝の情景

ひとは誰も
ただただ安らかなるときばかりではなくて
やはり
人生とは
結構な具合に
しんどいもので
尚、私たちは
深刻な社会問題も多数抱えている

それでも
どんな状況であろうと
その先の
希望だけは見失わずにいたい

そう想うと
かつてスイスはベルン郊外のZentrum Paul Klee
あの額縁のなかに浮遊していた
クレーの”来るべき者”が胸を過る

ただ、一度きりの邂逅
一期一会
な筈だった

けれどそれは違ってた

彼は信じることを知る
すべてのひとの胸に棲み付くのだ

ひとのもつ理性(美しきもの)を見詰め
そこに信頼を寄せる者たちへ

パウル・クレーさま
あなたが描き出した
あの”来るべき者”

漸く
私の心にも棲み始めてくれたようです・・。
































テーマ:生きる力の創造 - ジャンル:学校・教育

【 2015/08/04 18:17 】

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一枚の絵画へ


出勤途上で視野に入った
横浜大桟橋に停泊する
ASUKA Ⅱを眺めながら
ふと

遙かなる海を越えて
旅してくる名画たちに想いを馳せました。

日本に居ながらにして
名画に邂逅できる
それはそれは素晴らしいことなのですが・・・

やはり
ルーブルにはルーブル
ヴァチカンにはヴァチカン
故宮には故宮
プラドにはプラド
ウフィツィにはウフィツィの作品
的なオーラが不思議とあって
(私だけの気のせいかもしれませんが(笑)
取り分け
ゴッホ、ピカソ、セガンティーニなど
作家固有の名が冠せられた美術館の作品へのそれは
一層その想いが強まります。

ですので寧ろ
ビッグネームの企画展より
今は無名の画家たちの作品を
地元(本来の居場所)の画廊で鑑賞させて戴く方が
どんなにか
共感しやすいか
ということに漸く気付いたんですね。

あくまで個人的感覚ですが
絵画に額縁との調和が大切なように
空間が作品を演出すると申しますか
もっと謂えば
美術館のある環境
さらに謂えば
そこに辿り着くまでの道程それさえ
対峙する絵画に
深層的精神的影響を及ぼさない筈もないと感じるからです。

それも含めての1枚の絵画

究極のInstallation artとして
感受したいのかもしれません。

画廊の凛とした空気は
夏によく似合います。

さて
この夏は・・・


































テーマ:生きる力の創造 - ジャンル:学校・教育

【 2015/07/31 13:45 】

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クレラー・ミュラー~ゴッホの眼差し
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オランダはオッテルロー
自然の佇まいを残す樹々たちに
溶け込むように建つ
クレラー・ミュラー美術館

一度向き合ったなら
容易にはその場から
離れられないような
gravityを感じさせる作品が
幾枚も収蔵されている
オランダ有数の美術館のひとつですが
今日は
その一枚に想いを馳せました。

それは
孤高の画家
フィンセント・ファン・ゴッホが描き出した
”馬鈴薯を食べる人たち”
1885年の作品です。

小さな灯りが
家族で食卓を囲む
慎ましい夕餉の場面を
浮かび上がらせています。

フォークやポットを握るその手は
節くれだっており
日々、真摯に農作業に勤しむ様子も伺われます。

労働者階級の清貧な暮らし
憂いや哀愁の硲に
質素、節制、節度、倹約という
ストイックにも
大地に根差した
落ち着いた精神性が伝わっても参ります。

清貧が湛える独特の美が
宗教画にも通じる
聖性を呼び覚ますことを
教えてくれたのは
まさにこの絵画でありました。

同時代
都会では、
物質文明社会が齎す
実利主義、功利主義が横行していました
ブルジョワジーの贅沢に潜む浪費
ムーランルージュに象徴される
官能、享楽。
ですがゴッホは
そうした華やかさは
人間の精神に負の翳を投げかけ
充実とは程遠い喪失感
空虚感を引き寄せることを見抜いた
そして
そうしたものへの抵抗、批判を
藝術に昇華させたものでしょうか。

誠実に日々を生き抜く
農夫たちの姿は
鑑賞する者の胸を打ちます。

描出された厳粛
それは
労働への賛美であり
人間が人間としてある上で
失くしてはならない大切なものを
掲げてもいる
そうした作品と受け止め
私は深い共感を覚えたんです・・。











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【 2015/05/01 18:38 】

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世紀末芸術  断章 Ⅶ~耽美主義、懐疑性その純粋
また、見つかった
何が
永遠が
海と融け合う太陽が

~アルチュール・ランボー

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世紀末芸術を
現象面で語るなら
印象派から幕開けし
フォービズムで終焉といったところでしょうか。

バタフライ・エフェクト
なんていうカオス理論があるようですが

初期条件の僅かな違いが
最終結果に大きな差を齎すっていうことは
特段、不思議なことでもないように感じます。

繁栄と衰退 
栄華と零落

俯瞰で眺めるなら
栄華、繁栄の硲には
耽美や享楽へと誘う媚薬が潜んでもいるようで
一見して対極にある様に映る
憂鬱、堕落などとは
以外に親和性が高かったりも
するのかもしれません。

耽美主義に
ダンディズム
あの懐疑性も

退廃的と云うよりは
むしろ精神の繊細さ
純粋性のこだま
のようにも感じてなりません。










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【 2015/04/24 17:42 】

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世紀末芸術 断章 Ⅴ~デカダン主義者
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創造とは神の堕落なり
~退廃の美学/ボードレール

憂愁の世界に魅せられ
堕ちゆく美
その追求
隔世の感漂うデカダン主義者、
頽廃の美を奏でること
藝術至上の歩みこそが
唯一彼らの到達地点であったものでしょうか。

ブルジョワジーへの抵抗
物質文明社会における
拝金的実利・功利主義
時にモラルや常識への
アンチ・テーゼを通じて
偽善を暴き
無為、刹那を漂流する

そのレーゾン・デートルは
負なる情熱
美の酩酊
至高の世界。

彼らを
”新しき戦慄の創造者”として称えたのは
なんと
かのヴィクトール・ユゴーであった訳ですが・・・。














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【 2015/04/22 12:51 】

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世紀末が架けた彩~ひまわりに捧ぐ友愛
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世紀末芸術と謂えば
どうしたって
19世紀末が強くイメージされます
そしてなぜか
同時代に活躍しながらも
印象派はそのカテゴリからは外れるんですよね。

ですがその精神性には
所謂、サロンで評価を受けてきた
一連の作品群とは明らかに異なる姿勢、
既成規範に捉われず
客観的モチーフを主観的思想性や感性に照らし
自由表現を目指す
といった共通項、あるんですよね。

政治体制は帝政から共和制への気運が高まり
それに圧されるかのような
産業、文明的変革も顕著なる社会への
抵抗、批判的スタンスも似ているようです。

そんな時代であったからこそ

後期印象派とされる
偉大なるふたりの芸術家
ゴッホとゴーギャンへと
想いを馳せると
切なくもなります。

絵画を通じた友愛
それを愛するがあまりの
確執
苦悩

それでも
ふたりがすごした
プロヴァンス光の季節は
今に生きているんですね

描き出されたあのフォルムに
あの色彩に
あの
ひまわりのなかに
しっかりと刻まれてるようです。






























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【 2015/04/21 18:18 】

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世紀末芸術 断章 Ⅳ~象徴主義
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象徴主義の萌芽は
ボードレールの”悪の華”から・・・
それも
あの象徴主義宣言に遡ること
29年前のことなんですね。

一見して、反社会的
刹那的、儚さ或いは退廃を見詰める

けれどのその先に
現代性の中にこそ潜む
古典的美しさを見出す

モードは、モードであって
通過点に過ぎない
そう、だからこそ
そこから
永遠性を汲みあげるという志向性

また
彼の唱えるコレスポンダンスは
自身の内なる世界と
果てなき宇宙空間との協奏であり
マクロコスモスとミクロコスモス
その感性の呼応に
耳を澄ませた詩論にも重なります。
それは
詩と音楽が織りなす絢となり
音楽家ドビュッシーさえ
動かしていったんですね・・・。







※ボードレールのモデルニテ賛美は
マラルメ、ヴェルレーヌ
さらにランボーへと続いて・・・




















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【 2015/04/20 20:23 】

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世紀末芸術 断章 Ⅲ~印象派との乖離
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日常の風景には
人生の深みが詰まっている
~ボードレール

陽光が導く彩と風が
一瞬垣間見せる美的心象を
見事に切り取って描く印象主義に比して
象徴主義的作品は概して月の如くの光と翳が支配する世界観
それは・・・
クロワニズムと呼ばれ
クロワゾンで単純化されその平面的神秘が
却って音楽的感動を齎した反印象主義とも一線を画す
極めて思想的な絵画であります。

強い物語性を発揮する古典から
己なりの
インスピレーションを見い出そうとする
象徴派の試みは
それが不可視の世界であるがゆえ
強烈な個性を発揮する。

そう
感じるものだけを信じるという
モローの言葉は、ここにきて
大きな意味を擡げてくるんですね。



















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【 2015/04/19 08:28 】

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世紀末芸術 断章 Ⅱ~反科学主義
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例えば
ビザンツ
例えば
オスマン
いつの時代も
時が来れば
繁栄には斜陽が射し込む
落日の予感

ボードレール風に謂えば
”夢の中にしか存在し得ない現実”であり
プルースト流なら
”眠りは青春と恋に似て
  失えば二度と見つからない”
シェイクスピアに語らせるなら
”人生は夢。眠りで始まり眠りで終わる”
といったところでしょうか。

そして
ダーウィンの進化論に象徴される科学、技術の進歩
近代化の波に押しつぶされてゆく大切なもの
崩壊するキリスト教的世界観
その反動による
中世へのノスタルジア
ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動
象徴主義

工業化社会を反映する無機(鉄、ガラス)にこそ
敢えて有機的モチーフを被せ
優美な曲線フォルムを交錯させる。
結果、構造は装飾との融合を果たし
純粋芸術の枠を超えた応用芸術
アール・ヌーヴォーが誕生したんですよね・・・。

人が持つ精神の奥行
そこは時に計り知れないほどの
深淵性を垣間見せ
汲めども尽きぬ世界が広がります。
時に神話
時に幻想
時に宇宙への神秘感
瞳には映り得ない観念的世界であるからこその
その表現性に拘り続けた彼らの飽くなき挑戦。

それはそのまま
理念に感覚的形態を纏わせることであり
観念と感性の融合とも云うべき
月光の美しさを併せ持つ
芸術思潮でありました。












































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【 2015/04/18 05:40 】

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世紀末芸術 断章 Ⅰ~ベル・エポック
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世紀末芸術と謂えば
文明に必ずや付き纏う
光と影を想います。

時代は概ね
普仏戦争後から大戦前までの
平和な時代
華やかなりしパリ
あのベル・エポックとも重なるんですね。

(19世紀末に華開きましたが
突き詰めてゆけば
その背後には
バイロンやハイネ、ミュッセらのロマン的思潮や
綺麗ごとに陥らないゾラやモーパッサン
フローベールらの鋭い人間洞察
そして
精神性を重んじた高踏派の息吹さえ感じる・・・)

さまざまなイズムが交錯する
藝術至上的濃密な空間が
美のための美を追及していたかのような時代

ボードレールに
ヴェルレーヌ、ランボーからニーチェまで
そして
クリムトに、ココシュカ、シーレ
ベックリンにセガンティーニ
ルドンにモロー
ミュッシャにガレ
ガウディ・・・

もしひとが
生きる時代を選べるのなら
私はこの時代にこそ
生きたかった
そんなふうに願いたくなる

それほどまでに
絵画を
音楽を
文学を
愛する者を惹きつけて止まない
魅惑の時代のひとつでもあります。
























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【 2015/04/14 18:46 】

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夢の中へ・・・画中画~ネルヴァル
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画中画のある作品を描かれたあなたへ

作品自体も然ることながら
絵のなかの絵画が素晴らしければ
より一層
この胸に響きます。

聡明さを含んだ美と気品
それに可愛らしさをも備えた女性は
真に魅力的で
感情移入してしまいます。
そして
ネルヴァルの言葉もふと
想起されました。

ーー物語とは、
    その物語を生きる人々のためにあるーー

パラダイムシフト的発想と申しますか
恰も理論的物語論
その終わりの始まりのような
スタンスですけれど

私はこの言葉
好きなんです。

と申しますのは
それが文學であっても
絵画であっても
彫刻であっても
製作者の手によって
愛をもってして想像され
この世に誕生した主人公たちの
そのために
この世に存在する作品
それほどに存在感がある絵画、彫刻、文学・・・を
私は愛するからなのかもしれませんね
きっと。

※夢を”もうひとつの人生”と捉えた
ネルヴァルらしいと謂えば
まったくその通りの感性かと思います。

偉大なるストーリーテラーのデュマやかのユーゴーが
そんな彼と
親交が深かったのも分かるような気が致します。


































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【 2015/04/03 19:43 】

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クリムト~ベートーヴェンフリーズ/分離派館~接吻/アッター湖畔
ー私たちを救うもの
       それは藝術そして愛ー


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世紀末ウィーンでクリムトが描出した
”ベートーヴェン フリーズ”

こちらの作品が収められている
分離派館には
あの”接吻”はありませんでした・・・

ですが
画集からでも伝わる
彼の精神世界はここに
そのまま通じる
そんなふうに
受け止めて来ました・・・。

崖の上ぎりぎり
ゆき場のない
追い詰められたかのような状況
ゆえの
野の花咲き乱れる
煌めきの抱擁・・・。

クリムトが愛したという
アッター湖畔の空

その美しさは
そまま
私たちの頭上に
音もなく
広がっている
そして
確かに
通じているんですよね・・・。


































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【 2015/02/18 18:08 】

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失われた絵画~生まれ来る絵画へ Ⅱ~ペイ・フォワードの世界観/pay it forward 
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本来贈り物は「pay back」じゃなくて
「pay it forward」なのだと
お父様に教えられたというメッセージ

素敵なお父様ですね。

      *

2001年出版の書籍に
”PAY IT FORWARD ”という小説が
あったんですけれど・・・

見知らぬ人から善意を受けて
知らぬ間に立ち去られたその方に
ご恩返しができないならば
その優しさを先に送ろうと
そんなご自身の体験を基に
執筆されたという作品でした。

”世界を変えるための方法を考えよう!
そしてそれを実行に移そう!”
社会科のシモネット先生は
そんな課題を出す訳です。

知識偏重の授業でなく
人生を豊かにすることに重きを置いた
そうした教育観にも共感致しましたけれど・・・

そこで
トレバー少年は
”ペイ・フォワード”なるアイディアを思い付くんですね。

ー3人に善意を贈り、
   それを受けたは3人は
     また別の3人に贈るー

ベースはpay backかもしれませんが
此処には見返りを求めない方向性が示唆されていますし
何より子供らしさ溢るる
シンプルな発想がとにかく愛しくて。

小さな輪が
暖かに広がって
世界的movementになっていったら・・

そう考えるだけで
幸せな気持ちになります。

そうだ!
今日から始めようっと☆
































テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2015/02/15 14:49 】

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失われた名画~新たなる名画へ Ⅰ
”Saki no.04 Christmasrose”を描かれたあなたへ

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クリムトの哲学
あのヴィジョン
凄いですね

インド哲学にも近しい
カオスと申しますか
バサラと申しますか
そこに浮かぶは”オイディプス神話”で
謎を解かれて
死に追いやられたスフィンクス
一方であの
智慧なる眼差し
あの目ヂカラ
すべて見通しているかのような
眼光の鋭さに
視線さえ合わせ辛いほどで・・・。

さらに
あなたの文學。

古来よりの口承文藝的世界観に
少女の可憐さ
ケルト神話をも想起させる
ファンタスティックな雰囲気も漂います。

そして
”Saki no.04 Christmasrose”
壁に架けられた絵画
ブリューゲルの”怠け者の天国”の前に佇む
あの高貴な美しさは
何なんでしょう。

コンソールの周囲にある
数々の調度品との関係性と
その重層性

光が勝利すればそれで良し
とは思っていないんですね・・・
そうした意味合いも含めて
あなたが描く
観念的にして
神秘的空間が醸し出す空間に
象徴主義的知性を感じています。










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【 2015/02/13 17:41 】

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優しさの始まり・・・淡い光~モネ/かささぎ/ルエルの眺め~四月物語の本屋さんへ
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モネの描き出した”かささぎ”


同じく一面の銀世界を
描いた
フリードリヒの
厳格で凍てついた”雪”とは
異なる美しさを備えた作品です。

まっしろな情景に
一羽のかささぎが
佇んでいる

けれど
ひとを拒絶する”雪”とは違って
なんだか
暖かいんですね・・・。

-あのフェルメールの光のぬくもりにも似て-

そう
まっしろ
なんですけれど
光が
色彩が
溢れている
だから
きっと
あんなにも
豊かさに
充ちているのでしょうか。

色の密度が齎す
グラデーション
その質感
その表情
その奥行き
その眼差し
ほんの少しの不安を伴った
その暖かさ

言葉にならない
ぬくもり
を含んだ情景。

優しさのヴェールは
淡い光に寄り添って
日常の些事を愛しむこころに
宿るものでしょうか・・・。

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※彼の”ルエルの眺め”も
同じような理由から
好きな作品ですが・・・

今日の文章は
GOMAさまの”四月物語”その返歌として
綴らせて戴きました。

優しい光
淡い光は
わたしたちの
きっと誰もが
胸の奥に仕舞いこんでいる
受験、進学、新学期といった
”四月”を

生活のひとこま
ひとこまをを慈しむこころを

自転車で街路樹を過ぎゆくリズムを

街角の
本屋さんの
交差点の
温もりを・・・

呼び覚ましてくれるような気がするんです。

今にも
四月のピアノが
聴こえて来そうです。

mone2.jpg



















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【 2015/02/04 08:20 】

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The Land of Cockaigne


ドイツは
アルテ・ピナコテークに収蔵されている
16世紀フランドルの画家
ピーテル・ブリューゲルの
作品名を冠したあなたの神殿

小町の歌を添えた作品に接し
時間を忘れて
眺め
見詰め続けました。

深い想いや
いちばん伝えたいことは
明喩ではなくて

メタファや
光のような屈折こそが
いちばん
伝わったりするのかもしれません。

硝子のように
繊細な慈愛に充ちた
孤高の精神は
どんなに包み込んでも
作品から
毀れて
向き合うひとの胸に浸透してゆく

時の絨毯に
誘われ
イメージの世界に
身を任せています。
















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【 2015/01/25 17:56 】

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無彩の先~黒 へ
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”黒”のあなたへ

あなたの作品を
見詰めながら
想うのは
マティスの言葉

ー 黒はチカラ ー

そう
黒の力を想います。

例えば
ラスコー壁画の黒
古代ギリシアの黒絵式(black-figure)
カアバ神殿の黒石
カラヴァッジオの黒
ルーベンスの黒
フェルメールの黒
レンブラントの黒
マネの黒
ロココの黒
シャネルの黒

暗黒のイメージが付き纏ってもきた
原始の色
そこから
黒本来が持つ魅力を
引き出していったのは
画家たちだったのかと思ってもみます。

私が初めて
藝術的黒の魅力を感じたのは
ホイッスラーのノクターンシリーズでした。

見慣れない構図に
描き出されているのは
テムズ河に架かる
黒のブリッジ
曖昧な輪郭が醸し出す
音のない世界観
落下する
煌めくような星屑で
見事な
アクセントの金を添える
あの絵画

その抒情性
その静謐感

19C
世紀末の作品

反射率ゼロ
光を失わせる
この色は
最古の色であり

さらに
尚、
何ものにも染まらない
意思の色でもあるんですよね。

瞳へは
可視的全領域において
映り得ない
無彩の色。

光の裏にあって
影となり
翳となり
闇となり
無となって
また
高みに昇る。


それは
哀しみの色であり
静寂の色となる
そして
中立の色(裁判官の法服の色)
格式の色
時に神秘を含み
豊穣の色となって還ってもくる。

遥かなる色


見詰めれば
見詰め続けるほどに
必ず
聴こえくる

黒が内に秘める
一瞬の永遠
その物語

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”黒こそ色彩のクイーン”
そう表したのは
ルノワールだったでしょうか。










       











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【 2015/01/20 18:56 】

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ラヴェンナにて~バイロン/ダンテ/ヘッセ~ビザンティン美術/モザイク画/イコン
扉002


バイロンが人妻テレサと暮らした町

ダンテが神曲を書き上げた町

ヘッセの詩に謳われた町

そんなイメージに惹かれて訪れた

北イタリアのこの町

ラヴェンナ 

ダンテが埋葬されているという

サン・フランチェスコ聖堂から始まった

初期キリスト教建築とされる教会廻り

そこで私を圧倒したのは

荘厳なる堂内

その壁面、天井を埋め尽くす

ビザンティンのモザイク画

その壮重さ

紛れもないgravityだった

どこかで感じた

あのgravityに似ていた

そうだ

ルオーの”聖顔”

そこから放たれる

あの深遠なるメッセージ性

汲めども汲めども

汲みつくせない

想い

もしかしたら

言葉をもたないはずの作品が

語りかけるものほど

こころを繋ぐものは

ないのかもしれない




続きを読む

テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2014/12/12 21:39 】

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セザンヌとゾラを想って
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少年時代から深い絆で結ばれてきたという
偉大なるゾラとセザンヌ
彼らが、ゾラの”或る小説”の発表と前後して絶縁したかのような伝記が
覆されるに足る重要な書簡がパリで発見された
そんなニュースが
セザンヌ協会ホームページのプレスリリースにUPされたのは
2014年夏
つい先頃のことでした・・・。

それにしても
ポスト印象派
近代絵画の父として知られるセザンヌと
フランス文壇のみならず
世界の文豪ゾラが
同時期に同じ中学校に在籍していた
(後の天文学者のバイユと3人はウェルギリウスや
ユーゴー、ミュッセらの作品を通じて心かよわせ合った親友だったとか)
というそのことに改めて感慨をもつ記事でありました。

ゾラが
セマフォール・ド・マルセイユという名の
マルセイユ地方の新聞に
匿名で投稿した
(往時巷では理解が得られていなかった)セザンヌ作品への
賞賛記事
彼が美術批評家としての側面を併せもったのは
セザンヌの存在があったからに他ならず
セザンヌの才能を信じた(かった)から
それ以上でも以下でもないと
個人的には思っているんですけれどね(笑

ゴーギャンのセザンヌ評ではありませんが
そもそも
万人に認められる作家って
存在するんでしょうか

セザンヌがエコール・デ・ボザール(よりによってですが)を
断念しなければならなかったことを思うと
美術学校の試験でさえ時代の価値観に合わなければ
可能性を見出して貰えないという
哀しい現実もみえてまいりますが
ルーヴルでは
ベラスケスやカラヴァッジオに
傾倒したというセザンヌ。

七月王政の時代に生まれ
第二共和制
第二帝政
普仏戦争
(マルクスによる)パリ・コミューン
第三共和政
といった変遷を辿ったフランスと共に生き
そこで移ろう美術潮流のなかで
ひたすら自分自身を信じ描き続けた彼は
やはり”光”を追い求めたんですよね
それも
南フランスの
プロヴァンスの・・・。

最後の100フラン紙幣に
彼の肖像が描かれたそのことは
国民的画家という
ステータスを得た象徴でもありますが
手元にある
このセザンヌ紙幣の裏面には
(いかにも無造作に転がっているかのように見える果物が配されており)
セザンヌが拘り抜いた静物画
その有り様が
なんとも愛しくてなりません。












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【 2014/10/31 20:51 】

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暮らしに舞い降りる耀き Ⅱ~ゲーテ色彩論/絵画論/画家論~シラーへ
DSCN6112.jpg

先のゲーテの色彩論に纏わる記述が
素晴らしき表現者への(私のささやかな)応援メッセージの側面を備えていることを
解かって下さったこころ優しきあなたへ

彼は美術評論画家論を書いていたものかという
ご質問ですが・・・

そうなんです。
あんなにも美を追求した人物ですゆえ
絵画論に、建築論、画家論も・・・。
そもそもあの”色彩論”とて
その基本法則を担っている”色彩環”の構想は
彼の絵画論から導き出されたものだったんですね。

ゲーテは絵画を
というより絵画を為す”画家”を
注視し続けた節がありまして・・・

キーワードは”普遍性”
そもそもこちら
人間精神が運ぶものなんですよね。
その原点に立ち返るなら

シラーが
単なる合理的経験論に陥ると懸念し
カントの純粋理性批判のカテゴリに従うよう助言した
ゲーテの”純粋現象”
そこでも
”普遍性”との融合は
理論の整合性から齎されるものでなく
あくまで
対話的実践作業によって可能となるとし
そのことは、画家の制作過程に酷似してはいないか
と、そういった観点からの見解があったこと

要は、自然界には色彩の全体性を顕す普遍的具現など存在しないのだから
画家的資質を備えた者が其処を存分に生かしながら
多くの経験を経た習熟から熟達へ向かう
その精神性のなかで、調和の理念は感得されるのだ
といったような論を啓く
そのくらいに
絵画を愛したひとだったと
(個人的)理解をしております。

私が母から贈られた最初のゲーテ作品は
”若きヴェルテルの悩み”で
そこでの
バトゥからウッド
ド・ピールからヴィンケルマンに至る
多くの知識が披露されたといった科白は
ゲーテの絵画への思いの深さが伝わってくるフレーズでありました。

ゲーテの生きた世紀は

ーーut pictura poesisーー

なんて叫ばれるほど
絵画が
偉大なる芸術とされていた時代なんですね。

そうなんです
詩さえも
絵画的であれとされた時代。
これって凄いことですよね。
こうした背景のもとに
著されたこの色彩論は
教示編
論争編
歴史編の
三部構成であり
その最終章には
ゲーテの告白が付されていました。
そこにはもう
ニュートンスペクトルならず
ゲーテスペクトルとも呼びたくもなるような
科学理論的な言語対立があって
色彩論というよりは
色彩学的探求が試みられていたんです。

その切っ掛けは
ゲーテのある”気付き”だったよう。

時熱性を帯びた美的体験の文章化に当り
そのために駆使しなければならない構成や技法
ですが
自らが学びを重ねてきたなかには
それが存在しなかったというような挫折?があり
そこで、ゲーテは
造形芸術に
その法則や規則性を
求めようとした様子が見て取れます。
拠って
感性的な認識
美的真の手掛かりを得る方法論として
絵画を採ったんですね。

その創案
その構成
そのフォルム

ゲーテの絵画論は
(古典的彫刻作品の素描、否、画家なればこその彫刻制作云々~)
平面上の線描(素描)
立体的彫塑性(明暗を示唆)
そして色彩へと展開されて行きました。

けれど
その試みの前に立ち塞がったのが
”色彩の壁”だったんですね。

技巧的なそれはあっても
原則を見出すには至らなかったもので
科学に対抗すべく
藝術的認識を絵画に求めながら
色彩に於いてはやはり
非科学的継承性しか見出せずして
此処から
先の”色彩論”に還っていったという訳なんですね。

ただ、
模写を推奨したそのあとに
藝術の本来の目的に照らすなら
最高の目標は
自然の模倣であるといった方向へ導く
ですが
自然の真と芸術の真は別物であり
芸術家は自然物のようにみえるがごとく
努めることは許されないと説きます
ところが是
作品と自然との原理的峻別を意味するものでなく
完全な芸術作品を以て人間精神の作品と位置付け
その意味では、自然と一体化するものであると帰結するんです。

ゲーテのこの認識は
その造形法則と形成原理において
自然と芸術の共通項を見出していたことを
如実に示すものだと私は受け止めています。

そんなゲーテの作品観と
それを享受せんがために
藝術と共に暮らし
自己形成を図ろうとした
ゲーテの芸術観そのものが私は好きなんですね。

メングスの五段階のうち
制作に着手する以前の精神的段階
構想(創案、構成二段階)での絵画主題の選択を
単なる原初的萌芽とせず
ここに実践を担うべく本質を見
精神そのものの役割を果たす段階
と見做した、18世紀中葉の彼の絵画論に
古くて新しい美しさを感じてしまうんです・・・。












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【 2014/10/29 19:16 】

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ロイスダールの空に・・・
DSC_0242.jpg

ロイスダールの風景画に
月が浮かぶなら
それは
きっと
冷たい月・・・


いかにもオランダらしい
高い空に
それをカンヴァスにして
描き出される雲
その隙間から零れ落ち
広がる光は地上を照らす
この国独特の揺らめきの耀

フェルメールの
美しき絵画”デルフトの眺望”
あの空もまさに
ダッチライトだ

記憶のなかの空は
想いを乗せて
今をゆっくりと流れてゆく。




※20世紀末に結成された
オランダのロイスダール四重奏団
彼らの奏でる弦楽四重奏曲の哀愁の調
オランダ絵画史上
最高の風景画家と称えられる
ヤーコプ・ファン・ロイスダール
その名が由来となっているその感性に
寄り添いたいと思います。











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【 2014/10/06 19:35 】

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オブロングプラースの彫刻
DSC_0231.jpg

オランダはロッテルダムの
オブロングプラス

休日の午後
待ち合わせで訪れたこの広場で
邂逅したひとつの記念碑

細部というよりは
逆光に映し出された
あのシルエット
否、寧ろ
シルエットの印象的な
作家・・・。


第一印象は
ソフィア王妃芸術センターで対峙した
ピカソのゲルニカ
あそこから
そのまま
抜け出してきたか
のような存在感

それが
ザッキンの彫刻
”破壊された都市”と知らされたのは
それから暫くしてのことだった。

作品の放つ発信力とは
いったい
何なのだろう

観る者の想いを
一瞬で惹き付ける強烈な個性?

歴史の重みを
凝縮させたその密度の濃さ?

作家の魂が
乗り移ったが如くの
精神世界の有り様?

私の躰が
文芸作品や
彫刻、絵画、音楽に渡る
心豊かな芸術家たちが運んでくれる
”情動”に支えられているような
不思議な充実感を覚えるのは
たいていこうした瞬間だった・・・。





※御茶ノ水ニコライ堂近くの”三美神”や
東京湾に浮かぶ “messenger”など
国内でも彼に会える場所
少なくありません

エコール・ド・パリで活躍した作家らしく
パリ モンマルトルには
ザッキン美術館が。

彼の愛した緑豊かな庭の
其処此処に珠玉の作品がならびます。

ひっそりとした
路地裏に佇む
その生き様をも感じさせる邸宅
記憶のなかの作品たちは
今尚
私の心を揺らし続けています・・・・。





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【 2014/09/27 18:23 】

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石の彫刻~サルディニア島/イタリア~スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ
青い空と白い雲
それに
(シェルを象った)
石の彫刻

横浜山手
いつもの居場所
なのに
この既視感は
あの”冬の旅”
ゆっくりとした時の流れが
恰も昨日のことのように甦る・・・。



あれは
イタリア、サルディニア島
北海岸からならば、かのコルシカも望める
それより一回り控え目な島。

山あいの小さな田舎町には
お洒落なHOTELやバールはなかったけれど
美味しいチーズ(山羊の放牧が盛んで)とワイン有り(笑

辺り一帯は
歴史、紀元前1500とされる
スー・ヌラージ・ディ・バルーミニに象徴されるが如く
徹底的な石の文化。
石を愛しむ美意識が脈々と息衝いていて
石の彫刻家が暮らす町だった。

私の苦手な幾何学模様が
POPな感じで彫られているのに
不思議なくらいに
奥ゆきと
温もりが止らない。

石で奏でる
あの
遥かなる音の調べ
そして
大地の優しさを運ぶ
風のような佇まい。

改めて想う
私はやっぱり
彫刻が好き・・・。















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【 2014/09/15 09:49 】

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好きな場所Ⅲ~横浜港/山下公園/赤い靴はいてた女の子像~麦わら帽子の少女~ボール/ヴァロットン


いつものこの港から・・・

今日の気分は
ローザンヌ
かナ(笑

黒を基調にした
あの
モノトーンの世界観
そして
麦わら帽子の少女が
赤い球を追う姿も印象的な
ヴァロットン
"冷たい炎の画家"
彼の故郷なわけですが・・・

実は、彼のその”Ball”と
この公園
赤と少女が共通項
それを裏付けるように
赤い靴はいてた女の子の
小さな像が
お気に入りのこの場所に
ぽつんと
座っているんです
膝を抱えて
いつも・・・
雨の日も
風の日も
雪の日も。

あの童謡の通り
横浜の埠頭(はとば)から 
外国船に乗せられて
異邦人に連れられて行ってしまう
淋しげな情景が
浮かぶのですが・・・
両者に共通するのは
そこに漂う
謎めいた
寂寥の理
・・・・・。


こんなふーに
揺蕩うココロは
羽でもあるかのように
どこへでも飛んでゆく
あぁ、
果てしなく自由なんですよね
今日のお昼休み
息を飲むようなスカイブルーに見守られながら
想いは波間を渡って
水平線と戯れていました・・・。




























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【 2014/09/10 02:13 】

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”エッチングの扉”を開いて・・・
扉 001

自身が経験した扉
瞳を閉じて
そのひとつ
ひとつを
脳裏に描きながら
ひとり、想像を膨らませていました。






*******************************************

アカデミーの2年冬から制作されたという
”扉”をおくって下さったあなたへ

固く
閉ざされた扉
室内の空気は
重たそう
であるが故
扉の存在感が
際立つんですね

ずっしりと・・・
胸に。

そして
それは
最早
扉でありながら
扉ではない
その先に広がっている
世界観を暗示させるpreludeにとって変わる
そんなふうに感じました。

私の拙い
美術鑑賞の時間の流れのなかで
ある作品に対峙した
そのときそこに
掻き立てられる想い
なにものかを予感させる有りよう
それはひとつ
作品に同化するに
重要なファクタではなかったかと
思うんですね

故に
見詰める
見詰め続ける
見詰め続けたい

そんな作品。

引戸というのが
また
いいですね・・・
とても。

そのマチエールは
雄弁で

多くを語りかけてくる

私は
この扉を開けることが
できるのでしょうか・・・。

そして

扉を隔てた
その向こう


夏の強い日差しが照りつける玉蜀黍畑
それとも
遠く水平線まで見渡せる断崖絶壁の丘
或いは
雄大な山々の聳えるカールを覆う雪景色
瞬く星に
三日月の浮かぶ夜空

2つおおくり下さったうちライトな方が
手が届きそう
というか
ますます
扉を開きたい
好奇心に駆られます。

********************************************

あなたのおっしゃるルオー
ミセレーレのそのトーンを想起します

版画なのに
油彩のような質感があって
どこかに救いを見出させる深みが備わっている
どこか似ているように思います。

ルオーと謂えば
ポンピドゥーセンターで観たあの聖顔も
好きでした。
日本にも
白樺美術館、
汐留のミュージアムにも展示されていますよね
夢中で観て回りました
(専門家の方に怒られてしまいそうだけれど)
過酷性を湛えながら
あんなにも瞳が綺麗
それは最先端のアート感覚的
親近感、可愛らしささえ感じてしまう
というのが率直な感想で・・・。

個人的には
彼の初期頃
色彩抑えめの方が
こころに馴染むんですね
同じような理由でユトリロの描く街(も好きですけれど)より
佐伯の描く街に住みたい・・・

そう謂えば
佐伯も扉描いていましたね
そこには”27”の文字
そして
パリのプルミエール27番地には
今もあの扉
あるんですよね・・・。

何れにしても
みんな好き
これ偶然でしょうか
「佐伯祐三病」にケリを付けなきゃいけなかった理由は
私には
想像もつきませんけれど・・。

********************************************

そして” Madeleine ”
タイトルはフランス語のようですが
それでも
”Marie Madeleine”ではない
そんなことを思いながら3つの角度からの
画像を繰り返し拝見させて戴きました。

イタリアはフィレンツェで邂逅した
ドナテッロの”Maria Maddalena”
あれはもう感動と謂うより衝撃に近かった

彼の印象があなたの制作の背景にあったんですね・・・

痛々しげな情調でありながら
精神性の高さが支配する造形美
だからこそ
胸が苦しくなるほどの
存在感を放つものでしょうか。

********************************************

彫刻KASHIWAGIもまた
そのタイトル含め興味が尽きません

ー柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢かー

その一途さは解らなくもないんです
けれど私的には
寧ろ彼に辛く扱われた
落葉の宮と
セミⅡの素描タイトル
”空蝉”の凛とした生き方に
通じるものを見出してみたり


はい・・”八日目の蝉”の
あの別れのせつなさ
遣るせなさを
拭うように
小豆島に行きたくて・・
あの地を踏むことを試みましたが
フェリーの時間がなかなか合わず断念したまま
いつか訪れてみたい
そう思っています。

木槿・・・
純白も綺麗ですけれど
あなたの描くHibiscus syriacus
爽やかさのなかに熱いこころを秘めているようで
愛しくなりました。

機会があればルオーを模写されたという
その作品もUPして下さると
嬉しいです。

saki












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【 2014/08/30 00:01 】

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RE:夏ですね
DSC_0477.jpg

純粋抽象に纏わるメッセージをお贈り下さったあなたへ

そうですね~夏ですね☆
陽の光眩しい季節になりました。


戴いたテーマが深くて・・・
ですが
こうして機会を戴きましたので
ささやかで申し訳ないのですが
少し。

あなたの考察に
ふとフランス美術史の
”Abstraction Chaud”と”Abstraction Froid”を
想起致しました。
抽象絵画の傾向を示すための
便宜的分類に過ぎないものですが
単語そのままに
熱き抽象,冷たき抽象という捉え方・・・

フランス純粋抽象の伝統とされる幾何学的抽象を
冷たい抽象
そして
動的な構図に自由な色彩で描く
所謂、表現抽象的傾向を
熱い抽象と位置付けたものだったと記憶しています。

coolとされたそれは
無機的で
延いては、インダストリアルデザインやOPTICALなものを思わせるような系譜、
hotと形容したそれは
有機的で
私たち人間の感情や精神を内包させた
表現や色彩効果も期待できそうな作品です。
こうしたプロセスに息衝く躍動は
リズムを刻み、時に飛躍があり、時に緊張もありましょう
そしてそれはそのまま作品に落し込まれ
集約され
確かなimageを立ち昇らせる・・・

同じ抽象画というジャンルにあって
対象のエッセンスだけを抽出した半具象(からならば
ある種のリアリティと申しますか
居場所のようなもの
心寄せやすい何かがそこにあるようにも感じる)
一方で、
そうした過程を経ない
コンセプショナル的傾向のもの
例えばコンポジションに優れた作品には
数学的美しさのようなものが備わっている・・
敢えて自然にないフォルム、色彩に
精神性を吹き込む
”構成力”と申しますか
一切の不純物を排除した、その純度の高さに
ダイヤモンド的結晶を見出す
といったようなこともあるのかと・・・
また
具象、半具象に限界を感じるからこそ
言葉に成らない混沌とした感情は
純粋抽象によって
醸し出せるといったケースも
あろうかといった想像は
できるんですね・・・・

そして
どう感じ、どう受け止め、何を想像するか
その自由度を一段と高める”絶対音楽”の表現を借りるなら
純粋抽象は、”絵画の絵画による絵画の為の絵画”的要素を
備えているのかもしれません。

*************************************************

ひとはみな誰も
理性と感性のバランスの上に生きるようなところ
あると思うのですが
より理性に寄るスタンスが
科学的であり
感性に寄るそれが
芸術的・・・

一般的社会通念で謂えば
絵画は文學よりも感性に振れているのかと思うのですが
実際ダリ、キリコ、マグリットらのシュルレアリスムを先導したのは
ブルトンや、後に彼と袂を別ったツァラやアルトーたち
それぞれに”ダダ”から影響を受けた詩人たちだったんですよね。

そして
”ダダ”
ここ、大事ですよね。

あなたのおっしゃる
”意味として読まれることを徹底して拒絶する純粋詩”は
Noncence verseのようなジャンルのことを指していらしゃるものでしょう
文学史で謂う”ナンセンス詩”的な
意味を成さないこと自体に意味を持たせるというか
物語的なものを排除することによってのみ齎される何かを目指す
とにかく
既成概念に縛られない表現を特徴としています。
詩に限らず、現代では多様なジャンルで散見される
このような 文学手法や 、
不協和音の解放といったスタンスの無調音楽
そう、大変に困難を極めるという
調性を機能させない調性破壊の試み
とも通じる処あるようには思うんですね。


科学的発見が
第三者の再現で
初めて科学的価値を持つのは周知のところですが

芸術の領域ならば
独立して成立し得る・・・
筈。

ただ
時代を超えて空間を超えて誰からも
その作品への共感が得られないのは・・・

理に勝ちすぎる?
自身の世界観で完結して
その先の普遍性に届かないもの?

何かしらの
真実を備えている芸術には
(先程述べた)imageが立ち上がる
どれだけの鑑賞者がそれを感じとれるか
そうでないかと謂ったようなところもあるのかと・・・。

ですが
純粋抽象にそれが叶うか否か
それはあくまで
表現者と受け手に
通じ合うものがあるかどうかといったような類の・・・

分り易い、誰もが知覚され得るようなものでなく
開かれた者のみ感受できる類のもの
(見えないけどあるものを描く
 あの表現力から思弁的な概念を受け取ると言ったような)
それは
観念論、実在論といった二元論に陥らず
その双方に働きかける運動でありまして

物質から知覚を受ける精神は、そのプラクティスにより豊かな糧を得、
この糧により精神は高められて
さらなる知覚を受け取る。
こうした一連の相互運動により
より深層的感動が意識の中に呼び起こされる
云ってみれば
ベルグソンが提示したimageその原点のようなものであろうかと。

過去、現在、未来を自在に操るアイテムである記憶(知覚と不可分)は、
そのままに豊かなる経験と同義であり
現在の知覚に参画し
より重層的イマージュを魅せてくれる
掛替えのないツールなんですよね

時代を超えて尚
距離を超えて尚
通じ合える精神を持ち合わせた者たちの
言葉には尽くせない
心揺さぶるイマージュ
それぞれに
真実のようなものが包蔵されているといって
良いのかと・・・・。


最後に
あなたが述べられていた
芸術とは、好き好きの問題でも、完成度の問題でもなく
ニヒリスティックな相対主義を脱して如何に真実を掴んでいるかである

といったあなたのくだり・・・

これだけの確信を持たれている
そのことが
羨ましいと思いました
そして
”完成度の問題でなく”
というところ好きです。

凄く
愛されているんですよね
芸術を。

私などには到底
難しくて答えが出せませんが

これだけは
謂えると思うんですね
芸術が科学と本質的に異なるのは
絶対的価値基準がないということ

科学的発見は限られた者にのみ為せることかもしれませんが
そうして得られた科学の成果は、
その分野を学べば
皆が一様に理解できる類のものなんですよね
というか
そうでなければ
科学的真理とは呼べないものかと。

ですがそうはいかないもの
感性の違いが
対象への理解度を別つ
それが芸術が芸術足る所以なのかと思ってみたりもするんですね。
(新規の試みが
 広がりを呼ぶと言う点では共通でしょうか)

解るひとには解る
解らないひとには解らない

ごめんなさい
一見して答えになってませんよね(涙

ですが実際
”それが如何に真実を掴んでいるか”は
解り合える者、(変な表現ですが)解り合えない者で
差異が生まれるのは避けられないのかと・・。
そしてそれは優劣でなく
価値観なんですよね ・・・。


例えば美術なら
パブリック・アートから
インスタレーション
ランドアート・・・
こうしたオフミュージアム的なものまで
あらゆるものを包括できる
枠を定めない
その度量の大きさこそが
artがart足る所以なのかな
なんて思ってみたりもするんですね。

(JAZZでも初めはビバップ
なんですけれど
クール、ハードバップ、モード、
アバンギャルド、フュージョン
かと思えば揺り戻しがあって新古典派
そしてコンテンポラリーみたいな(笑)

音楽や絵画、彫刻から受けとるのは
音やリズム、旋律
フォルムや色彩だけではありませんよね
言葉になら ない何か
感動、情動と謂ったようなもの
説明不可なもの
であればあるほど
感じるものは大きいのかもしれません。
ロマン主義的インスピレーションではありませんが
そもそもが
芸術の概念は抽象なのかと・・・
時に鑑賞者の
観賞力や経験値も影響しましょう
ある人にとっては無価値であっても
ある人にとっては至高の芸術といったことがおこるのが
芸術の面白いところなんだと
私は思うんですね。

究極は美的追求にあるのかもしれませんが
そこに精神の解放
魂の叫び
非日常にいざなう何か
そうした
鑑賞者の心の琴線を響かせる
表現手法の模索が
アートの永遠の課題なのかもしれません。

私が大切に感じているものに
”作家性”があるのですが

芸術という各々固有の文法による表現
そこに寄り添うように
佇むイマージュ

この作家性のファクタ
これこそが
芸術の鍵なのかと
想ってみたりもしています・・・。


P.S.
ゴダールですか・・・。
彼の新作”Goodbye to Language”は、ほんとうに3Dになってましたね。
カンヌでは、審査委員賞受賞されていましたが
パルムドールを取ればベルリン、ベネチアと
3大映画祭最高賞制覇だったんですよね・・・
”ADIEU”の赤い文字が3Dで浮かび上がるあのイントロダクション
タイトルGoodbye to Languagと相俟って監督のメッセージ性は極めて高かったのかと・・・。

ジュリエット・ビノシュの” 嵐ヶ丘”は・・・
語り手がロックウッドでなかったのが残念でした(涙

そして、
ナタリー・ポートマンのファンでいらっしゃるのかと思っていました。
私なんて俳優さんに限らず、作家、画家、彫刻家さんなど
一度魅せられるといつのまにか
辿ってます・・・・
しかも作品年代順に(笑
これも”作家性”のなせる業でしょうか。

今日触れたベルグソンは
学生時代
あの癖になる独特の文体に嵌って
1年近くベルクソンの深海泳いでました
海上に浮かび上がった日には友人とワインで乾杯したっけ

今朝ほど戴いた、
創作のリクエストですが
"創ることに快感が伴う"ために
シェイクスピアの作品タイトルではありませんが
As You Like It☆
ということで
どこまでも・・・
応援しています。

saki






















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【 2014/07/30 09:25 】

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ミュシャ/自然/スラブ叙事詩~ゲーテ/ファウスト~スメタナ/モルダウ~ステンドグラス/リトグラフ/装飾パネル
Mucha La nature 001

ミュシャのブロンズ
” La nature”を前にすると
脳裏を過るのはやはり
ゲーテが残した言葉

”永遠にして女性的なるもの”

文学史上最高峰とされる”ファウスト”の
終章を飾る祈りにも似たメッセージ

自然をこよなく愛し
終生変わらず女性を愛でたミュシャのそれと
重なり合う想いがあるようにも感じ取れます。

そして
”美しいひとの訪れ”を意とする
ネフェルティティの胸像も彷彿とさせる
凛とした佇まい・・・。

アムステルダムから空路でのチェコ入り
空港着陸後機内に流れるモルダウは
幾度聴いても胸に堪えます。

スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクの国
カフカの
そして、小説の冒頭から”ニーチェの永劫回帰は,他の哲学者を混迷させた”と記した
あのクンデラの国。

フッサールやココシュカもチェコ出身なんですね・・・。

このラ・ナチュールの作者ミュシャも
フランスはパリで
華やかな成功をおさめながら
その愛国心からか
故国に戻っています。

中央駅から真っ直ぐに市街地を抜けて
聖人たちの待つカレル橋を渡る
そして
小高い丘の上のプラハ城
聖ヴィタ大聖堂の
ミュシャのステンドグラスは
通常のそれと違って
硝子に直にペイントされたもの
第一印象は 色彩の勝利
美しいフォルムを
鮮やかな各色が包みあげるような作品でした。

ミュシャは
アメリカで
初めて
スメタナの”モルダウ”を聴いたんですよね
たぶん
自国で聴くそれよりずっと
彼の心に響いたんだろうと思うんです
”我が祖国”

侵略に次ぐ侵略の時代
小国であったが故に
消えゆくチェコの伝統を守るがための
愛国心

そして
苦難の歴史を超え
民族の統一を願い手掛けた大作
スラブ叙事詩を生む
原動力となって行ったんですね。

平和を願い
只管反戦の意を込めて
その深き想いを
絵画に閉じ込める

ジスモンダに代表される
花と女性だけを描いたリトグラフからなる
華やかな装飾パネルより先に
もしこちらで名を馳せていたなら
彼の評価も
また少し違っていたものになっていたかもしれません・・・。

此の街の随処に残された
ミュシャが生きた軌跡
ネオ・バロック風のスメタナホールの
内部はアールヌーボー様式で埋め尽くされ
ステンドグラスの光溢れる音楽堂でのコンサートなんてもう
美の極みかなって・・・。

フランス、ストラスブールに向かうため
後にした夕映えの街
プラハ中央駅を抜ける列車からは
豊かな水を湛えるモルダウ河が描く緩やかな曲線と
丘の上に聳える大聖堂
斜光線に映し出される百塔の美しき都
それがミュシャの生きた街
だったんですね・・・。
















テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/07/24 08:47 】

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絵画を愛するあなたへ
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いつも素敵なBLOG
ありがとうございます。


一般論としての・・・
ーひとは絵を本能としていて
無意識の中での自己表現として描き始めることが自然で
そして
成長するに従い
絵を描くことによる自己表現の仕方を忘れてしまう
さらにそれは
潜在意識の中でのブレインロックが邪魔しているせいではないかー

という視点

ブレインブロックと
似たような現象
プラシーボやノーシーボ効果をも想起致しますに
私にも理解できるようなところがありまして・・・

お恥ずかしい話ですが
母が、幼い私に(3歳頃から)絵画教室(とピアノレッスン)に
通わせてくれておりまして
小さな作品展に入選したときの写真が
アルバムの片隅を幾つか飾っていたこと
ふと想い出させて戴きました。

芸術科目で書道を選択してからは
すっかり遠ざかっていた自ら創作するという美術の世界
この頃、御茶ノ水のLEMON(画材屋さん)で暫し時を過ごすようになったのも
いつのときも暖かな眼差しで
丁寧に対象を見詰め
せつせつと記していらっしゃる多くのメッセージからの影響もあろうかと
感じているのです・・・。


絵画を愛するあなたが丹精込めて手掛けられた大切な作品のご紹介に
なお優しく教え導いて下さる日々の記事へ
感謝の気持ちをいっぱいに込めて・・・

心から
ありがとうございます。


















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【 2014/07/23 18:19 】

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