失われし時を求めて~ホテルザッハーのトルテ~至上のしあわせ 接吻へ
IMG_3359.jpg

ザッハートルテ
香高いチョコレートに包まれたそれを
口に含んで広がるのは
”失われし時を求めて”のマドレーヌが呼び覚ます”幼少期”ならぬ
ウィーンは、ホテルザッハーだ。

さらに
ウィーン版アールヌーボー
ユーゲントシュティールは凄まじい。

ウィーン分離派の結成

19世紀末の藝術運動
美と生活の融合。

ー藝術の課題は時代の課題ー

オットーワーグナーの言葉も刺さる。

月桂樹のドームを冠する
分離派会館
効果的にゴールドを配した
その建築物に

眠る
ベートーベンフリーズ。

第2楽章の
黄金の戦士は
苦悩を突き抜けて歓喜に至るという
そんな
強さの象徴を描き出すクリムトの
最終楽章は、矢張り
恋人たち(接吻)

彼らの願った自由の息衝く地であり

マーラー自らの第九が流れた場所でもある。

そして
クリムト黄金様式の背後に潜む想い
そう
真なるクリムトが棲む場所。

彼に続く銀のシーレも
”一流の野蛮人”ココシュカも
其処に魅せられた?

東洋を巧みに取り入れたクリムト

けれど
美の極みは
何れも重なるようだ

その
あらゆる融合の先に在るもの

恐らく
それが愛だ。






























テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/29 17:31 】

| 気紛れドライブ | トラックバック(0) |
映画 炎の画家ゴッホ
DSC_0088_201706120945201cf.jpg

昨夜メッセージを下さったあなたが観たという
20世紀半ばの映画
”炎の画家ゴッホ”

音楽こそ時代を感じさせますけれど
よく創り込まれていたと私も同感です。

取り分けゴッホ作品をそのまま
再現したかのような演出が随所に差し込まれて。
ゴッホの死から60年あまり後の映画製作のようです故
絵画のなかの風景が追いやすかった
というのもありましょうけれど
いかにもあるがままの風景が
彼の筆(=感性)によってデフォルメされゆくさまが
手に取るように伝わって参りまして感動的でした。

ゴッホの絵を、愛するひとならば
誰しもが
あんなゴッホだったろうな
と共感できる構成になっていたのではないかとも。

           *

ありのままの自然に向き合い続け
古典的優雅さと気品を備えた女性を愛するという
そんな恋愛観にも心惹かれました。

ですので
論理と秩序を好みながら
同時に暴力も辞さないというゴーギャン
ましてマラルメをも彷彿とさせる象徴主義的傾向の彼
その私生活は、享楽的にも映り
ゴッホとの確執は、必然だったよう・・・。

悲しいかな
互いにその才能を高く評価し認め合いながらも
避けようのない決別を迎えるという
なさそうでありがちな現実は、やはり厳然と存在する
それが此処でも
例外ではなかったということなんですね。

”鴉の群れ飛ぶ麦畑が絶筆になった”という
伝説を創った映画でもあるようですが
半ば納得です。

創作の勝利
という感、ありますから。

そして
ゴッホ美術館や
クレラー・ミューラーで邂逅した
この作品と同じ季節に描かれた作品群も
実は、
哀しいほどに
孤独に支配されていたこと
今も脳裏から離れないでいます。

寂寥の情景。

そもそもが孤独でなければ
ゴッホのような絵は描けないでしょうし

上手に生きられるひとにも
届かぬ世界観かと。

真面目で
愛に溢れながらも
不器用で、

ゆえに孤独から抜け出せない
そんな彼でなければ成し得なかった偉業。

絵画が放つ
あの圧倒的な存在感。

時を超えて
今日も
向き合うひとの深層に語り掛けてくる
そのメッセージ性への敬意と

絵画のチカラを
まざまざと見せつけてくれる
偉大な画家のひとり
フィンセント・ファン・ゴッホそのひとと
絶え間なく彼を支え続けたゴッホの弟さんテオが
なんだか愛しくてならない

そんな気持ちにさせてくれる作品でもありました。








































テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/28 12:58 】

| 映画 | トラックバック(0) |
大切な不協和音
DSC_0225_201706120948472c2.jpg

人生長いですから
辛いことも多々ありますよね。

大切なのは
如何に乗り越えるか

乗り越える
そのこと自体に意味があるんですね。

恰も

美しい音楽に
不協和音が不可欠なように…。

























テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/27 08:59 】

| 音楽 | トラックバック(0) |
贅沢な時間 II
IMG_3091.jpg

小淵沢にほど近い日野春
蒼々とした山に囲まれ
八ケ岳の全景が見渡せもする場所。

その一角にある昨年廃校となった小学校
そこに展示されていたのは
犬塚勉氏の作品群。

水面(みなも)の表現を求めて
ひとり八ケ岳に向かい
帰らぬひととなったという。

38歳の彼の瞳に
そのとき何が映ったろう。

そうした気持ちに捉われ
想いはめぐる

廃校の庭に
片隅の壊れた遊具に
廊下に残された学校理念に
校舎正面の大樹に

氏の筆によって描出された自然は
あまりに自然で
自然の中の自然で・・・。

草原
川面
ハルジオン
ヒメジョオン
上流の大きな石
山頂の礫

特別なことは
何もない

求めれば
どこにでもある

飾らない
けれど懐かしさを含んだ自然

原風景
時への愛しさ募る情景たちが
そこにはあって

それが
氏の自然を見詰める
透徹した眼差しによって
こころを帯び
向き合うものたちに差し出すのは

静けさだけが
刻む ”時”

日々、仕事に追われる私たちが
つい見落としがちな時

けれど決して見過ごしてはならない
大切な時。

IMG_3167.jpg







































テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/26 08:08 】

| 気紛れドライブ | トラックバック(0) |
時間*fragmentation 終章
IMG_3412.jpg

”順序の実在性”
こちら、身体としての自我が
出来事のただ中に在ることを強調した
表現と云えましょう。

言葉の意味内実として
境界づける視点としての今が
刻々その位置を変える
縦の志向性が
横の思考関連を獲得することで
出来事は初めて
時間の中の出来事になり得るというこの辺りは、
まさに
心理主義と論理主義のせめぎあいであります。

流れるのは時間ではない
それを語る私たちだけ

ただものだけが
現前から不在(過去)となってゆき
不在(未来)から現前と推移する・・・

私たちは
それを意味付与的に働く志向性を介して

意味として所有するだけ

という理解。

そんな現象学的時間論には
時間を生き生きとした姿で見詰め続ける
真摯な姿勢が備わっているようです。

時間の構成を問うことの本当の意味は、
こうした姿勢にこそ息衝いているようであり
学びに値する書(理論)に潜む”意味(充実)”が
垣間見える思いがしています。


         *


ビーリの指摘を待つまでもなく
時間的生成の一方向性
また、その不可逆性
それと同様に
その都度の現在の時点もまた
説明が拒まれている

何故なら
すべては、内部の事だから。

ーー私なしには
    何ものも
      時間とて存在しないーー















テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/23 09:28 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation ⅩⅦ
DSC_0028_201706120943550b0.jpg

消え去った
過去は
”知覚され”
”残響”となる

メルロポンティが如く
(意味付与を行っている主体を体とするなら
意味は、それ自体にとって)
存立する本当の超越論的主観は体でなければならいんですね。

その体の定義は
構成する主観と
主観によって付与された意味を蒙り
そのただ中で生きる客観であり

能動性と受動性の両実を兼ね備えたものが身体
ということになりましょう。

主観自身を含めて
一切が時間的意味をもつものとして
与えられる・・・

なれば
時間は完全に有効な意味を持てるんですね。

流されつつ
立ち止まり(今に位置付けながら)
世界に意味付け
その付与に視点をもって関わる

その両義性

両義的存在としての體。





















テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/22 08:14 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation ⅩⅥ
IMG_3372.jpg

独我論に陥らず
客観性を保つべく救いとして
相互主観性が浮かび上がってまいります。

ただしこちらも
公共的時間における
客観的同時性の関係を保った上のこと。

考え得るあらゆる思考を提示せしめたつもりでも
浮かび上がるパラドックス。

相反するように
見えてくる輪郭。

それは

時間は実在していない
実在するのは
時間ではなく
受動的に時間を語らしめるものだけ・・・。

時間は在るものでなく
語られるもの
そうした考え方がひとつできるということなんですね。












テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/21 12:59 】

| 未分類 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation ⅩⅤ~独断的見解に陥らないために
DSC_0185_20170612094802766.jpg

内的時間となれば
フッサールが問題にした
過去把持的変容。

色褪せ行く過去
そう、原印象の褪色はなぜ起こるか
なんですけれど。

過去把持とは
過ぎ去った印象を今に引き留めておく働きであり
変容に抵抗する働きでも
生起させるものでもないものですから
過去把持的変容に無理はありません。

併し乍ら
彼が目指したような
実在の時間だけは
排除できようはずもなく・・・。




その理由は
時間経験そのものが
時間のなかの出来事だからなんですね。

よって
反って、時間の実在性を思い知らされる
そうした考察になっていました。

















テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/20 08:32 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation ⅩⅣ~独断的見解に陥らないために
DSC_0247_20170607091756f5c.jpg

そうなりますと
ラッセルが言うところの
自己中心的特殊規定。
こちら、カントの直観の形式をさらに徹底化させた
時間の観念的性格を端的に表したものと謂えましょう。

空間は等方的。
時間は非等方的。

さらには、現在の記憶
に表されたベルグソンの時間論の危うさ

そこに照準を合わせたかのような
フッサールの 時間講義
その感覚与件
客観的時間構成への考察

こちらは、分かり易く言えば
今の意識を
絶対に変容されていない
原印象に関連させようとするもので
記憶や想像でない
知覚を通じた直接的印象
対象化された原意識の今を
時間構成の原点にしようとしたものでありました。

さらに読み解くなら
彼の理論は
寧ろ、絶対的意識流の自己時間化(自我の働きで構成)
として捉えようとした
自我論に近しいんですね。

突き詰めれば
今を基点とする時間への意識は
自我が機能するもっとも根源的形態です結え

生き生きとした現在
を実感するためには
客観的時間のみならず
内的時間を包括するのもまた必然でありましょう。















テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/19 12:46 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation ⅩⅢ〜独断的見解に陥らないために
IMG_3304_20170612103434fd5.jpg

ましてボルツマンの
エントロピーの増大で
時間の流れの方向性を
定義しようとした提案は
恐らく必然・・
ではあっても
矢張り合理的説明には
致ってはいないんですね。

であれば、常に異なる今の連続
時の経過の向きは
不可逆的としか
説明の仕様がないのでしょうか。

そこで
”継起の秩序”
マクタガードの時間論には
時間の非実在性がありました。

こちら自我によって構成された
非実在的現象と換言することも出来ましょうか。

となれば
ここで自らが解釈した
ヘーゲルの言葉が想起されてくるんですねり

ーー実在は無時間的
それが反芻のなかで
時間系列のカタチを取っているに過ぎない。

なにものも変化しないなら
時間はありえないーー

存在論的には、両者がどう浸透し合っているかは
言えなくとも
変化と時間の不可分性は証明できましょう。

時間は、ある主観の働きを予想する
そう、
理性的意識が存在しない以上
時間の存在論って実は、不可能なんですね…。








テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/18 15:10 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation ⅩⅡ〜独断的見解に陥らないために
DSC_0020_201706120943219ae.jpg

それでも
時間の流れの円環性に
必ずや潜む不合理

純粋理性批判
外観の形式、すべて同時的に存在する空間
内観の形式、無限に伸ばし得る時間
絶え間なく消えゆく直線のイメージさえも
無理があるといえばそうなんですね。

そこで自然現象を支配している幾つかの
根本原理、因果律を
時間の言葉に翻訳してみますと
その時間の流れの方向性
分かり易いところで因果律の命題
原因は結果に先行する
から分析的客観的に
時間的順序が導かれてきた

といったような
謂わば思想史のような捉え方が
より近しいのかと。

もちろんそこでも
仮定的側面から逃がれられては
いませんでしたけれど・・・。















テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/17 07:25 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation ⅩⅠ
IMG_3035_20170613125050a3b.jpg

此処で現象回帰を
時間の回帰と読み替えたと解釈するならば

また、
彼の"瞬間と永遠"を見落としさえしなければ
ニーチェは理解しやすくなるんですね。
そして、ハイデガーの考え方の様に
永劫回帰思想を
肯定方式に至らせた経緯もみえてまいります。

時に歴史学の利害を語ってもみたニーチェ
そんな彼は、

未来に向けて行動し
過去も同時に引き受け肯定する
即ち瞬間として存在できるひとこそ
過去と未来の対立的結合をみ、その瞬間
そこに円環的時間をなす
とも語っていました。

こちらまさに
永遠は瞬間にあるという
ニーチェの”時間への止揚”であり
彼は自己超克を此処に求めたんですね。


ニーチェが絶えず想いを巡らせたギリシアの
天球の円環的循行こそ完全な均一運動とした限りで
時間と円環を結びつけた
アリストテレスの時間論にも似ています。













テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/15 21:35 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation Ⅹ
DSC_0302_20170612095028e2b.jpg
      
現代の私たちには、あまり馴染まない
ギリシアの輪廻転生や
シャーマニズムにも結びつくこの概念をして
ニーチェの記述は印象的でした。

ーー世界を一定量の力として

一定数の力点として考えることが許されるなら
その存在の大いなるサイコロ遊びのなかで
有限数の組み合わせ、経験数の組み合わせを
経験していると帰結できる。

無限の時間のなかでは
可能なあらゆる組み合わせは
いつかは一度は実現されてきたであろうし
まして無限回の実現もあろう。

もし世界が有限量の力、力点からなっているとすれば
エネルギーが恒存である以上
世界の事物の配列は有限である他なく
従って無限の時間経過のなかには
同じ配列が反復されざるを得ないーー
~力への意志

さらにツァラトゥストラに至っては

ーー 一切の直線的なものは嘘をつく
一切の真理は曲線的である
時間自体がひとつの円環であるーー

こうした一連の
ニヒリズムにして
最大の定式化回帰思想。

となれば
無限に反復される回帰のなかで
意味を持ち得る人間的努力はあるのかなんて
そんなところへさえも思索はめぐります笑

ですが彼の到底の視点ー認識が生み出す世界ーに立つならば
世界の事物配列の有限性と
時間の無限性という仮説
その反復可能性を一笑に付すには早計のよう。

無論、ニーチェ自身
時間の円環性が結びつく
積極的理由のないことも承知の上の”告知”でありましょうから。

そう致しますと
回帰し得るもの
それは、
時間そのものではなく
現象の形式
という理解になってまいりましょうか。


















テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/15 00:18 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation Ⅸ
IMG_3259.jpg
           
ギリシア的コスモスの下に
なし得なかったこと
其処に
キリスト教的時間の観念が寄与したその一方で
近世の物質観
その根本原理もしかりなんですね。
あの慣性の法則も
原理的にはガリレイが既に発見していて
その定式化をデカルトが成し遂げた
ということで。

この差って
地球に縛られたか否か
そのまま
無限を知るひとだったか否かに
尽きるようでもあり

よって
慣性の法則は
空間における思考の変革をもたらし
同時に
時間の変革をも促していったんですね。



ですが
元来的には、
規則的に循環する天体運動や
巡る季節を以ってしても
時間のなかに何かしらの円環性が残るのは
否めないようでもあります。

それは、
ギリシアに古くからある
回帰の思想しかりで
ピタゴラス学派の大いなる世界年
その回帰的時間とも重なるのですけれど・・・。

こちら
お気づきの方もいらっしゃるかと存じますが
ニーチェの 戦慄すべき永劫回帰
あの礎となった考え方でもあるんですね。

















テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/13 12:44 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
時間*fragmentation Ⅷ
DSC_0109_201706120945534b9.jpg
そこで
思想史を紐解いてみると
やはり何かしら見えてくるもの
あるんですね・・・。


時間の流れを表してきた
その伝統的形象としては
大きく分けて二通りあったようです。

そのひとつは
ギリシアの民が愛した
永遠の円環運動です。

こちら文字通り
自然の円環性を見詰め続けたもの。

いまひとつは
キリスト教の終末論的世界観に基かれた
起点(創造)と終点(終末)を備えた
謂わば上昇せる直線運動です。

両者の長い思想論争の結果
(先の記事に記したように)直線的進歩史観
即ち現代の私達の心情的理解に根ざした時間意識である
不可逆的時間といった観念へと
導かれてきたんですよね。

ですので
ニュートンの絶対時間に収斂された
近世の時間意識とて
そもそもは
その無限性の存在根拠を神のうちに
見出だしていたということなんですね。

結果、ギリシア的円環から
直線化された時間

ですが・・・。

















テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2017/06/12 12:07 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
前ページ | ホーム | 次ページ